開講予定の講義
この講義では、ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)の『宗教的経験の諸相』という著作の後半部を読んでいきます。ジェイムズは19世紀後半から20世紀初頭に活躍した米国の哲学者、心理学者で、「プラグマティズム」という考えの提唱者としても知られています。
今回扱う『諸相』は、「宗教的」と形容されるさまざまな体験を、大量の日記や手紙、自伝といった資料を駆使しながら考察したもので、宗教心理学の古典にも数えられます。(とはいえ、この著作の射程は狭義の心理学に収まるものではなく、この世界の実相についてのジェイムズの考えが随所に展開されています。)
ジェイムズが生きた19世紀後半から20世紀初頭にかけては、従来の宗教的信念と新興の自然科学的知見との緊張関係が強く意識される時代でした。ジェイムズは『諸相』以外にも多くの著作を書き、心理学や形而上学、倫理学など、多岐にわたる主題を論じていますが、宗教はそれらに共通するモチーフでした。いいかえれば、彼の思索活動は一貫して宗教の解明と擁護に向けられていました。そのジェイムズが「宗教」とはいかなるものであるかを主題的に論じたのが、この『諸相』という著作なのです。
くわえて、宗教は現代においても世界的な関心事のひとつです。世界人口の8割以上が何らかの宗教を信じていると言われており、宗教は私たちの生活や社会と切りはなせない関係にあります。他方で、日本では、特定の宗教に属しておらず、明確な信仰や教義を持たないという人も多くいます。しかし、初詣や墓参り、お守りやお札、神社仏閣巡りといった明らかに宗教的な行動は、私たちの日常生活のなかに自然に組み込まれています(したがって、「日本人は無宗教である」という主張は、そのままでは端的に誤りだと思います)。こうしてみると、宗教は現代の私たちとも深く関わっているものであることが分かります。
この講義では、ジェイムズの生きた時代と私たちが生きる現代との共通の関心事である宗教について考える視点のひとつとして、この『諸相』の後半部を読み解いていきたいと思います。宗教と科学(あるいは信仰と理性)はともすれば対立するものと見なされがちですが、両者のそれ以外の関係を模索したいと思います。みなさまのご参加を心よりお待ちしております。
なお、この講義では、現在最も入手しやすい岩波文庫版(桝田啓三郎訳、1969-70年)を使用します。ただ、その他の邦訳(あるいは原書)をお使いいただくことも可能です。
※この講義では、『宗教的経験の諸相』下巻を扱います。上巻についての講義は、同じくThe Five Booksにて2024年10月に開催しましたが、今回の講義でも、内容把握に必要な範囲で、上巻の情報を適宜盛り込み、立ち返りつつ進めていく予定です。また、上巻の講義資料も部分的に共有いたします。したがって、今回から受講していただいても読解に支障はありません。
第1回講義:2025年08月02日(土):19:30 - 21:00
初回は、『諸相』という著作の背景にあるジェイムズの人となりや研究状況、関連情報(ユングとの関係、ジェイムズ自身の宗教、『諸相』の読み方、文献紹介など)を整理します。『諸相』前半部を内容目次で振りかえることも予定しておりますので、後半部から参加される場合も、ここであらましをつかんでいただくことができます。
なお、毎回の講義で扱う読書範囲は、邦訳で100頁くらいになり、分量としてはやや多めです。先に講義で大枠をつかみ、そのあとで邦訳を読むという流れも可能です。もちろん、事前に目をとおしていただければ、講義内容がよりスムーズに理解できると思います。ご自身に合った読み方を試してみてください。
第2回講義:2025年08月09日(土):19:30 - 21:00
第11・12・13講「聖徳」を読解します。ジェイムズは、宗教の本質を個人と神(=一神教の神よりも広い、神的なもの一般)との直接的な交流にあると考えます。このような宗教的経験が私たちの生にもたらす成果が「聖徳」であり、この講ではその特徴が詳しく説明されます。
第3回講義:2025年08月16日(土):19:30 - 21:00
第14・15講「聖徳の価値」を読解します。聖徳の特徴を踏まえて、ここではその価値を評価することがテーマとなります。ジェイムズは宗教的経験をむやみに礼賛することはせず、むしろ一般の人々の常識も考慮しながら、冷静に吟味します。「宗教の果実も、すべての人間的な産物と同じように、度を越せば腐りやすいのである。宗教の果実は、常識によって判決されなければならない」(下、129)という発言は、ジェイムズの立場を端的に表したものです。
第4回講義:2025年08月23日(土):19:30 - 21:00
第16・17講「神秘主義」、第18講「哲学」を読解します。まず、「神秘主義」においては、神秘的状態の標識として、「1.言い表しようのなさ 2.認識的性質 3.暫時性 4.受動性」が挙げられ、それぞれについて多くの実例が検討されます。そして、こうした特徴を持つ宗教的経験は真理なのか、それとも当人のたんなる主観的状態にすぎないのかという問題が扱われます。ここは、合理性や真理について考えるうえで重要な箇所です。
後半の「哲学」は、従来の宗教哲学・神学の試みを批判しながら、ジェイムズ自身のプロジェクトである「宗教の科学」の構想が述べられます。
第5回講義:2025年08月30日(土):19:30 - 21:00
第19講「その他の特徴」、第20講「結論」ならびに「後記」を読解します。第19講は、犠牲、告解、祈りといった宗教の諸特徴を分析しています。また、宗教的生活と潜在意識(当時の心理学において存在が確認されつつあった)との関わりについても詳しく論じられます。ここには、人間全般に当てはまる心理学的メカニズムによって宗教的経験を説明しようというジェイムズの姿勢が見られます。
第20講と後記では、宗教についてのジェイムズ自身の積極的な主張が述べられます。ジェイムズは、心理学で公認された潜在意識という概念を使って、宗教的経験において個人の意識に流入してくる〈より以上のもの≒神〉を解釈していきます。個人の潜在意識の向こう側に広がる実在の真のあり方について、ジェイムズがどのように考えていたかを丁寧に読み解きます。
こんにちは。大厩 諒(おおまや りょう)と申します。ウィリアム・ジェイムズの思想を中心に、19世紀後半から20世紀初頭にかけての北米哲学の歴史を研究しています。
この時期の北米哲学は、「プラグマティズムの時代」としてまとめられることもありますが、実際にはさまざまな立場が乱立した群雄割拠の状態で、プラグマティズムはそのうちのひとつにすぎませんでした。当時活躍した哲学者たちは、いまではほとんど忘れ去られた存在ですが、そんな人たちの思想を発掘するのが私の研究のメインテーマです。
哲学は、ほかでは得られない世界の見方を私たちに与えてくれる、楽しく、興奮する営みです。しかし、哲学の楽しさを十分に味わうには、一定の準備が必要であり、それが哲学史です。講義をとおして、哲学をより楽しむために、私自身も学んでいきたいと考えています。
みなさんのご参加を心よりお待ちしております。