一冊の本から、より深い読書体験を。
本を読んで終わりにしない。研究者と一緒に読み進め、問いかけに応え、他の読者と考えを交わします。
- 01
読む
無理のないペースで、一冊を読み切る
書籍を事前に購入し、毎週指定された範囲を読み進めます。1週間あたりの読書量は無理のないペースに設定されています。書籍によっては全ての章を読まず、一部を読む講座となる場合があります。
- 02
講座に参加する
専門家の知見で、読みが深まる
週に一度、Zoomによるライブ講座またはその録画を視聴します。第1回は読書前の準備として、書籍の背景・著者・時代的文脈を学ぶ導入講座です。全ての講座は初めてその書籍を読む方を対象に構成されており、専門知識は必要ありません。疑問点は講座中にリアルタイムで質問でき、全講座は録画されて後から何度でも視聴できます。
- 03
考え、育てる
問いかけが、考える入口になる
多様な読者と、視点を交わす
講師から届く問いかけをきっかけに、自分なりの考えや疑問を持ち、育ててみましょう。専用のディスカッションボードへの投稿は任意です。読むだけでも、書いて投稿してもよく、参加の強度や方法は参加者それぞれに委ねられています。他の参加者の考えに触れることも、学びの一部です。※ディスカッションボードはライブ講座限定
読んで、学ぶ
4週間講座の場合。 まずは自分なりに読んだ上で、次週の講座で講師の解説を聴く。この繰り返しが基本のリズムです。
初回講座だけが例外です。 初回は事前の読書を必要としない導入回。2回目以降は「読書 → 講座」の順で繰り返します。各講座の問いかけは次の読書期間をまたいで次の講座に引き継がれます。
ライブ講義
オンデマンド講義
収録済みの講義です。ご購入後、すぐに視聴を始められます。

ON-DEMAND社会学哲学2026年7月8日~8月5日全5回大衆の反逆
大衆の反逆
〈100年前の予言書〉――スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの主著『大衆の反逆』に、あえてキャッチフレーズをつけるとするならば、このような言葉がふさわしいでしょう。1930年に出版されたこの本は、ファシズムや全体主義がヨーロッパを覆いつつあったおよそ1世紀前に書かれたものですが、そこに生々しく描き出されている「大衆」のイメージは、驚くほど私たち21世紀の現代人に似た姿をしています。
SNSを開いてみれば、一方では、自分と意見の異なる者を徹底的に糾弾する「炎上」が日常化し、他方では、インフルエンサーや”識者”の言葉を無批判に鵜呑みにしてしまう「信者」たちで溢れています。政治の世界を見渡しても、扇情的な言葉やパフォーマンスで人々の分断を煽る極右ポピュリズムが世界規模で台頭しており、理性的な対話を行うための言論空間はもはや失われつつあるように見えます。誰もが自由に発言でき、権利を謳歌できる豊かな社会になった一方で、私たちは自分と異なる意見に耳を塞ぎ、自らの言い分ばかりを主張する《甘やかされた子供》になってはいないでしょうか?――この本が痛烈な筆致で突きつけるのは、こうした自己批判の契機でもあります。
オルテガの言う「大衆」とは、特定の階級や労働者集団を指すものではありません。問題とされるのは精神の姿勢です。すなわち、「みんなと同じ」であることに悩むどころか安心し、自分が凡庸であることを知りながら、しかし凡庸であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする精神性の持ち主こそが、「大衆」なのです。そしてこうした人々が、いまや世界中を支配しつつある⋯⋯というのが、20世紀のヨーロッパの行く末を危惧するオルテガの時代診断なのでした。
本講座では、この100年前の文明批判を、一種の〈予言書〉として、現代社会の状況に照らし合わせながら読み解いていきます。本書はもともと新聞の連載記事(エッセイ)として書かれたものであるため、一般読者に向けた比較的平易で読みやすい文体で書かれています。だからといって”簡単”というわけでもないのですが、オルテガは難解な専門用語をほとんど使いませんし、時代背景や問題意識も見えやすい本なので、「古典」と呼ばれる本に取っ付きにくさを感じている方でも比較的読み進めやすい本だと思います。したがって、本講座に参加するにあたって哲学や社会学の専門知識は不要です。本書を通じて、現代社会に生きる私たちがもつ”大衆性”を見つめ直すとともに、これからの社会が向かうべき先を考えるためのヒントを一緒に探しましょう。
テキストとしては、『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波文庫)をご用意ください。本書には翻訳が多数存在しますが、今回の講座では、最も新しい邦訳である岩波版を参照します。既に別の出版社の邦訳書をお持ちの方はそれを参照していただいても構いませんが、講座内で取り上げる訳文・訳語やページ数とズレが生じることはご了承ください。

ON-DEMAND2026年1月6日全5回哲学入門-入門編
哲学入門-入門編
この講義は、2025年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。
本講義では、20世紀を代表するドイツの精神病理学者であり、哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)の著書『哲学入門』を読んでいきます。この著書は、ヤスパースが1949年秋にスイスのバーゼル放送局で行った全12回のラジオ講演をもとに、翌1950年に刊行されたものです。
この『哲学入門』を手に取り、読んだ方はこんなことを思ったかもしれません。
「『哲学入門』と書いてあるから、哲学の入門書だと思って読んでみたら、「ヤスパース哲学」の入門書やないかい!」
私もその一人でした(笑)。大学1年生の頃に、英語で哲学書を講読するゼミの中で、この『哲学入門』を読んだのですが、同じことを思いました。その時はなんだか騙された気分になったものです。たしかに本書は、ヤスパースの考える哲学、いわゆる「実存哲学」をベースに論が展開されるものですので、い��ゆる一般的な哲学の入門書・概説書には当たらないかもしれません。
ですが、皆さまも一度は「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」という疑問を抱いたりすることはないでしょうか?このように、自分自身や自分の人生を問いに附し、その答えを求めて思索を行うことは、誰にでもあることではないかと思います。そういった方に、この『哲学入門』はオススメです。なぜなら、本書の中でヤスパースの説く哲学、いわゆる実存哲学とは、今ここに生きている「この私」自身が、自分の人生を見つめ直しながら、自分自身の思索を深めていく営みを意味するのですが、その手引きを行おうとする著作が、この『哲学入門』だからです。ですので、改めて申し上げますと、哲学あるいは哲学史の概説を行うには不向きな本なのかもしれません。ですが、それでも「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」などの問いを抱いている方にとって、その答えのヒントを指し示してくれるものが、この『哲学入門』です。ぜひ本講義に参加していただけたらと思います。
またさきほど、この『哲学入門』は「ヤスパース哲学」の入門書であるとも述べました。それもそのはず、ヤスパースの哲学は難解なものが多いですが、そのエッセンスが簡潔にまとめられたものが本書『哲学入門』です。また皆さまにとって身近で手に取りやすいヤスパースの著書といえば、この『哲学入門』ということでもあります。そのため、『哲学入門』はヤスパース哲学を学ぶための導入としてふさわしい著書と言えることから、本講義で扱うこととなりました。
ですが、この『哲学入門』を読み進める中で、こんなことを思ったりする方もきっといらっしゃるかと思います。
「第一講・第二講の内容もわかったぞ!でも、その次の第三講の「包括者」がよく分からない...」
同じく私もその一人でした(笑)。大学1年生のころ、さきほどのゼミにて、「邦訳でいいので、何講か自分で選んで読んで、内容を簡潔にまとめよ」という夏休みのレポート課題が出された際に、再び『哲学入門』を手に取って読んでいたのですが、第三講のところはいくら読んでもてんでよくわかりませんでした。
なぜそうなるのかと言えば、この『哲学入門』は、位置づけとしては後期ヤスパース哲学の著作にあたるものだからです。まず、前期ヤスパース哲学についていえば、その主著である『哲学』の内容をもとに、特に「実存」についての内容を強調するのですが、それに対して、後期ヤスパース哲学は、前期ヤスパース哲学の内容を受け継ぎつつ、実存よりも、他者との交わりへと衝迫する「理性」についての内容を強調する記述が増えていきます。つまり、前期ヤスパース哲学の内容がある程度わからないと、後期ヤスパース哲学の著書に位置付けられる『哲学入門』もわからないということを意味します。
そのようなことではございますが、本講義では、前期ヤスパース哲学の内容も振り返りつつ、しっかりと『哲学入門』の解説を行っていきます。この『哲学入門』が初見の方でもわかりやすい解説を心がけて講義を行っていきますので、安心して本講義に参加していただければと思います。
以上となりますが、このようにヤスパースの『哲学入門』を読んで、挫折してきた方が数多くいらっしゃるのではないかと思います。哲学書に挫折はつきものです。ですが、その挫折こそ再び「哲学すること」のきっかけとなります。途中で挫折した方も、初見の方も楽しめるような講義を行っていきたいと思います。
使用するテキストについて
本講義では、主に草薙正夫訳『哲学入門』(新潮文庫)を用いる予定ですが、林田新二訳『新版 哲学入門』(リベルタス学術叢書9)を読んでいただいても構いません。
草薙訳は、実存主義哲学がまだ隆盛を誇っていた時代に翻訳されていたため、実存的なニュアンスがありありと残る訳になっておりますが、少し文語的な訳なのでその点読みづらいという欠点があります。
対して林田訳の方は、口語的に翻訳されている点では読みやすいものの、ヤスパース研究者である林田先生が訳にこだわって翻訳したということもあり、研究者目線では正確に訳されているものの、その分一般の方々にとってはかえってわかりづらい部分があったりするという欠点があります。
本講義は、適宜両翻訳を用いていきますので、両翻訳の訳出の違いなども含めて、本講義を楽しんでいただけたらと思います。

ON-DEMAND2025年12月30日全5回道徳および立法の諸原理序説 上
道徳および立法の諸原理序説 上
この講義は、2025年10月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。
人を幸福にするか、不幸にするか。みなさんはどちらの方が正しいと思いますか。おそらく多くの人が(瞬間的に?)「幸福にする方が正しいに決まっている!」と思われたのではないでしょうか。この一見すると当たり前のセオリーを唱えたのが、18世紀イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832年)でした。
端的に言えば、ベンサムは正しい行為や政策とは、「最大多数の最大幸福」を促進するものであると考えます。このベンサムの立場は「功利主義」と呼ばれています。今回講義で扱うのは、このベンサムが功利主義を提唱した『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)です。
この功利主義の基本的な発想には異論がないかもしれませんが、「そもそもどうやって人の幸福を計算できんねん!?」という突っ込みがありうるでしょう。例えば、あなたに飴ちゃんをあげるのと、チョコレートをあげるのとでは、どちらの方があなたの幸福をより増幅させるのでしょうか。そう、ベンサムはこのように人の幸福を計る方法までも真面目に考えだそうとしたのです。この功利主義の発想は、現在ではとりわけ社会制度設計などの理想とされています。そりゃそうですよね、私の人生設計ならだしも、社会制度の設計ですから、最大多数の最大幸福に資するものではないと正当化されないと考えられるわけです。本講義では、『道徳および立法の諸原理序説』のうち、最初のいくつかの章を読んでいくことで、功利主義の基本的な発想に触れていただきます。
ベンサムの業績としては、当時禁止されていた「同性愛」を擁護したことが知られています。また、後にミシェル・フーコーによって有名になった「パノプティコン」を提唱した人物でもあります。実はこれらのアイデアも、ベンサムの功利主義に由来します。(なお、ベンサムの身体は現在、ミイラとして大学に展示されていますが、これも功利主義の発想に由来するとされています。)本講義ではこういったベンサムの功利主義の実例と共に、具体的な例をあげて考えていきましょう。
さて、同じ時代にドイツで活躍したイマヌエル・カントの倫理学とは異なり、ベンサムの功利主義は現在に至るまで多くのフォロワーを輩出しました。有名どころであれば、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)やピーター・シンガー(1946年-)でしょうか(彼らの著作は私がThe Five Booksで担当したことがあります。ミルの著作は今後も担当する予定です)。彼らによって功利主義は大幅に改良され、現代でも主要な倫理学理論の地位を得ています。本講義ではこれらのベンサム以降の功利主義の発展も視野に収めながら進めていきます。
※中山元訳『道徳および立法の諸原理序説 上』(ちくま学芸文庫、2022年8月)をご用意ください。

ON-DEMAND2025年12月26日全8回幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇
幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇
この講義は、2022年10月および2023年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。
この講義では、オンデマンド形式で週間かけてみなさんとアメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの代表的著作の一つ、『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)を読んでいきます。
角講義では、毎回50ページほどのペースで本を読み進めつつ、毎回1本の映画を同時に扱います。
主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。
そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。しかし、映画というメディウムの特徴や「映画の存在論」を論じた哲学書である『眼に映る世界』(1971)を除いて、具体的な映画作品を論じた書籍がこれまで翻訳されてこなかったことから、日本ではこれまでカヴェルの議論に十分な注目が集まってきたとは言えない状況にあります。
カヴェルにとってはじめての映画作品を中心的に論じた著作である本書『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』は、『レディ・イヴ』(1941)、『或る夜の出来事』(1934)、『赤ちゃん教育』(1938)、『フィラデルフィア物語』(1940)、『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)、『アダム氏とマダム』(1949)、『新婚道中記』(1937)を「映画芸術の歴史における一つの到達点」として評価し、その意義を考察した一冊です。この本でカヴェルは、通常「スクリューボール・コメディ」として知られるこれらの作品を「再婚喜劇」という独自のジャンルカテゴリーを設けて提示しています。
カヴェルは、一度仲違いしたカップルが再び結ばれる、かつて「元サヤ」と呼ばれた展開を共有するこれらの再婚喜劇映画に、ラルフ・ウォルド・エマソンやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの思想との類縁性、さらには映画作品に対峙する観客のあり方とも重なるものを見出していきます。こうした彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと思います。
本書刊行に続き、内容的に対をなす『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社)の日本語訳も出版され、今後カヴェルの映画論をめぐる日本語圏の議論は、間違いなく盛り上がっていくと思われます。今回は、同作との関連についても要所で言及しつつ、今なお新鮮な『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』後半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるように努めたいと考えています。
本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはロマンティック・コメディ映画や映画論全般に関心を���つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。
使用テクスト:『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022年)を使用します。第2回以降には各回1本の映画(『フィラデルフィア物語』、『ヒズ・ガール・フライデー』、『アダム氏とマダム』、『新婚道中記』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなく配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。(参照 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01144-3.html
また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

ON-DEMAND2025年11月23日全4回涙の果て
涙の果て
22年10月、23年3月に実施した『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)をめぐる講義に続き、この講義では同書と内容的に対をなすスタンリー・カヴェル『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年、原書:1996年)の前半を扱います。毎回40~50ページほどのペースで本を読み進めつつ、3回目と4回目にはそれぞれ一本の映画を同時に扱います。
主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。
そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。
近年立て続けに主著の翻訳が刊行されたことで、ようやく日本においてもカヴェルの多岐にわたる仕事を再考する機運が高まってきているように思います。本講義では、彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと考えています。前回までの講義で扱った『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』との関連についても要所で言及しつつ、『涙の果て』前半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるよう努めます。
本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはメロドラマ映画やロマンティック・コメディ映画、映画論全般に関心を持つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。
使用テクスト:『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年)序文から第2章までを読みます。重要な箇所については一部原文との対比を行う可能性がありますが、その際は原文の英語を動画内で紹介しますので原書の入手は不要です。第3回以降には各回一本の映画(『ガス燈』、『忘れじの面影』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなくU-NEXT、Amazon Primeなどの配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。
また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

ON-DEMAND2025年10月2日全4回精神のエネルギー
精神のエネルギー
この講義は、2022年1月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。
フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)の講義・論文をまとめた『精神のエネルギー』(1919)を読みましょう。この本は、『時間と自由』・『物質と記憶』といった彼の主著としては数えられませんが、「心」の働きについて語られた講演原稿・小論等が七篇収められている、重要な資料です。実は、ベルクソンは講演・講義の名手でした(コレージュ・ド・フランスの講義は超満員!)。なるほど読んでみれば実に明快な議論がなされています。それゆえに、この著作はベルクソン自身によるベルクソン入門としてよく知られたものです。しかし「入門」とはいっても、『物質と記憶』で展開された知覚論・記憶論を前提としたその内容の射程は実に深いものです。また、流麗な文章から垣間見える彼の率直な関心の表明は、1900年代という知的状況の中のベルクソンの姿をいきいきと伝えてくれます。
さて、この三週間の講義では、第二章「心と体」・第四章「夢」・第六章「知的努力」に的を絞って読解と議論を行います(これらはそれぞれ別の機会に発表された独立の内容です)。いずれも40ページ前後にまとまった、コンパクトで読みやすいものです。これら三つの講演・論文を読むことによって、人間という生物の持つ、脳と心との複雑な関係について吟味し、われわれが行う知的な営為——いま、われわれがまさに行おうとしている「読書」も含まれます——がどのような活動であるのかを、かなり繊細に・具体的に考えることができます。ただし、これらの講演・論文は『物質と記憶』という彼の主著の内容についての前提を含んでいます。その内容を補足できるサポーターがいれば、この読書はなお面白い。そこで、私の講義の役割があります。『物質と記憶』の内容を導入しつつ『精神のエネルギー』を読解することで、ベルクソンの心理学的・哲学的考察の豊かな世界に触れてみましょう。
とりわけ次のような方には強くお勧めできる内容になります。
・ベルクソンの哲学・思想になんとなく興味を持っていて、読んでみるきっかけが欲しい方
・他のベルクソンの著作にチャレンジしてみたものの、ハードルの高さを感じたという方
・『物質と記憶』が扱うような、意識の問題・記憶の問題・心身問題に関心があるという方
(・『物質と記憶』をお読みになった方で、内容の復習・応用に取り組んでみたい方)
*『精神のエネルギー』の三つの講演・論文の読解を通じて、『物質と記憶』の部分的な内容を、具体的なレベルで噛み砕いた講義を提供することになります。そこで私の『物質と記憶』講義にご参加いただいた皆さまには、あの著作の復習・応用の機会としてもご利用いただけると思います。ぜひいらっしゃってください。
「問いかけ」が、この講座の中心にあります
毎週の講座で、講師が読書範囲について「読みながら考えてほしいこと」を提示します。参加者はディスカッションボードで自由に回答し、次の講座で取り上げられます。
みなさんは、人間ならではの質の高い快楽を手放してもいいと思いますか、思いませんか。
①《復習》「誰も自動車を運転することを法律で強制されないが、学校に通うことはすべての人が法律で義務づけられている」(p. 117)。もし明日から就学が高速道路と同じ扱い――使いたい人だけ使う――になったら、あなた自身(あるいはあなたの子ども)は学校に行きますか? 行く/行かない理由はなんですか? ②《予習》次回は第6章「学習のためのネットワーク」(135〜189頁)です。イリイチは学校に代わるものとして、四つの仕組みを構想します――①学びに使える「モノ」(本・道具・機械・場所)に誰でもアクセスできる仕組み、②技能をもつ人がそれを教えたい人と出会える仕組み、③同じことを学びたい仲間どうしが出会える仕組み、④助言してくれる先達(教育者)を探せる仕組み。このうち、インターネットやSNS、生成AIによって「実現した」と思えるものはありますか? 逆に、実現したことで別の問題が生じたと思えるものは?
①心に残った一節は? (おもしろかったところ/心の琴線に触れたところ/違和感のあったところ/よく分からなかったところ/口が悪いなと思ったところなど) ②「思想」を持つとはどういうことだと思いますか? オルテガは8章で、「平均人は自分の内部で『思想』を見い出すが、思想を考え出す機能に欠けている」(151)などと、大衆による思想は「本来の思想ではない」と批判します。これらの論述を踏まえながら、思ったこと感じたことを書き出してみてください。 ③(あれば)感想/つぶやき/前回講義の感想など自由に
① 法を強制的命令として捉えるオースティンの理論は、説得的でしょうか? みなさんの意見を理由とともに教えてください。 e.g. 命令法は法の規範性(〜すべき/せよ)をよく捉えていると思うので説得された。 ② 第1章、第2章の内容で特に印象に残った・引っ掛かった箇所を理由とともに教えてください。 e.g. 「法」の定義が難しいことがなかなか納得できなかった。述べられている定義の難しさは、その他の語にも共通するように思える。 ※自由な発想で、ご自身の考える「法」のイメージや関わり方を共有してください。





