
イリッチ,I.(イヴァン)
学校は、本当になくてはならない制度なのでしょうか。学校が増え、誰もがより長く学校に通うようになれば、社会はよりよくなり、人はよりよく学べるようになるのでしょうか。本講義では、この問いに取り組むために、オーストリア出身の思想家イヴァン・イリッチ(Ivan Illich, 1926-2002)の代表的な著作として知られる、『脱学校の社会』を紐解きます。イリッチは、カトリックの司祭としての活動を経て、産業社会がつくりだす諸制度への根本的な批判を展開しました。学校を論じた本書のほかにも、交通やエネルギーを論じた『コンヴィヴィアリティのための道具』、医療を論じた『脱病院化社会』、労働を論じた『シャドウ・ワーク』など、その批判の射程は現代社会の諸制度のほぼ全域に及んでいます。
『脱学校の社会』は1971年に公刊された、イリッチの名を世界に知らしめた代表作であり、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』と並んで、20世紀に著されたラディカルな教育思想の古典として広く知られています。エヴェレット・ライマーやポール・グッドマン、ジョン・ホルトらの同時代の学校批判とともに「脱学校論」と総称される潮流を代表する一冊であり、こんにちに至るまで、学校制度の存在理由や義務教育の正当性をめぐる教育哲学的な議論の重要な参照点となり続けています。
イリッチによれば、学校化(schooling)された社会に生きる私たちは、教えられることと学ぶこと、進級することと教育を受けること、免状を得ることと能力を身につけることとを混同するように仕向けられています。こうした診断のうえでイリッチが要求するのは、学校の改善でも改革でもなく、国家と教会の分離(政教分離)になぞらえられた、「学校制度の廃止(disestablishment)」です。義務教育制度の存在をほとんど自明の前提としてきた私たちの常識に、本書ほど根本的な仕方で揺さぶりをかける本はないといってよいでしょう。
もっとも、本書の射程は、狭い意味での教育論にとどまりません。イリッチにとって学校は、医療や交通、福祉といった現代のサービス制度の全般を貫く「価値の制度化」という現象の、最も純粋なパラダイムでした。その意味で本書は、イリッチの制度批判の全体への最良の入口でもあります。また、本書で示される「学習のためのネットワーク」の構想は、インターネット時代の学習環境を半世紀前に先取りしたものとしてしばしば言及されてきました。不登校の増加やホームスクーリング、EdTechや生涯学習といった現代の話題を考えるうえでも、本書は多くの手がかりを与えてくれます。
ただし、公刊からおよそ半世紀を経た本書の議論には、時代状況に規定された部分や、あえて挑発的なトーンで記された部分も少なくありません(実際、イリッチは後年みずから、本書で行ったラディカルな提案の一部を修正しています)。けれども、本書の価値は、個々の提案の当否には尽きるものではありません。学校とはそもそも何のための制度なのか、学ぶとはいかなる営みなのか――イリッチとともに、そしてときにイリッチに逆らいながら、こうした原理的な問いを考えてみることがこの講義の目的です。
※講義では、イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(東洋・小澤周三訳、東京創元社、1977年)を使用します。こちらの邦訳をお手元にご用意いただくことをおすすめします。なお、原書はIvan Illich, Deschooling Society(Harper & Row, 1971年)です。講師は必要に応じて原書を参考にすることがありますが、参加者の方々にはご用意の必要はありません。また、講義計画の都合上、第2章および第5章については、詳細には扱わない予定です。なお、講義の進行状況等に応じて、講義計画には変更の可能性があります。