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法の概念

LIVE
26 | 05/17 - 06/21

法の概念

この講義では、法哲学の古典的著作であるH. L. A. ハート『法の概念』(原書初版1961年)の第7章までを紹介しながら、「法とは何か」という法哲学上の伝統的な問いに向き合います。

私たちは日頃から法によって秩序づけられた社会で生活しています。しかし、よくよく考えてみると、法に従ったり、法に義務づけられたりするというのは、なかなか不思議なことのように思えます。私たちは、調べたことも、聞いたことすらない法律にさえ、実は拘束されていることがあるのです。

そうした法のあり方についての謎を、私たちの日常的な言葉遣いや直観的な理解から丁寧に解きほぐしていくのが本書の特徴です。本書では、法はただの命令やマナーとどう違うのか、法的なルールはどういう性質を持っているのか、法が「ある」とはどういうことか、といった問いをめぐって、私たちの法や社会に対する理解を深めることが試みられています。

もっとも、法学や、特に英米圏の「コモンロー」という伝統が背景にある本書の論述は、初学者にとっては難しいと感じられる箇所もあるかもしれません。したがって、法学や英米圏の法制度についての前提知識は、この講義でも適宜補足しながら解説を行います。

また、本書は、平易な言葉遣いではありながらも、独自の概念を駆使して法システムのあり方を説明しているために、現代の法哲学でも継続中のさまざまな論争の出発点にもなりました。この講義では、そうした議論についての最新の知見も踏まえて、法哲学の古典としての意義を感じとっていただけるよう努めます。

本書の精読を通じて、「法」という、日常にありふれているにもかかわらず、実はあまりよく知らない対象について、じっくり考えるきっかけを提供できれば幸いです。法哲学そのものに関心のある方はもちろん、私たちが生活している社会のあり方について考えてみたい皆さんのご参加をお待ちしています!

【テキストについて】この講義では、ちくま学芸文庫版(長谷部恭男訳)を使用します(誤訳等修正の観点から、できるだけ刷数の大きいものが望ましいです)。講義への参加に際しては、みすず書房版(矢崎光圀訳)でも問題はありませんが、ちくま学芸文庫には、原書第3版に収録されているレスリー・グリーンの有益な「解説」が掲載されているため、そちらも参考にされることをお勧めします。

吉
吉原雅人 (京都大学大学院法学研究科)
¥8,000
道徳形而上学の基礎づけ

LIVE
26 | 05/02 - 05/30

道徳形而上学の基礎づけ

今年、イマヌエル・カント(1724-1804)の主著『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年。以下『基礎づけ』と略記します)に関する書籍が二冊、出版されます。日本を代表する哲学者である永井均による『『道徳形而上学の基礎づけ』を解体する:カントの誤診2』と、『カントを読む、倫理学をひらく:『道徳形而上学の基礎づけ』精読』(カントを読む、倫理学をひらく - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社)です(後者は4月に出版予定のようです)。

『基礎づけ』は日本でも昔からカント入門にふさわしい書と考えられてきました。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』といった主著と比べると、かなり短い上に、カントにしては(?)文章が平易だからです。特に、同じ道徳哲学を扱うという点において、『実践理性批判』の代わりに『基礎づけ』が読まれることも多いようです(ちなみに『実践理性批判』講義はオンデマンド型で公開されています)。しかし、先の二冊は、(カントに対するスタンスやその解釈、目的は異なるとはいえ)『基礎づけ』の章ごとにコメントを付すという方法をとっています。そのような書籍が、カントの死から200年以上経った現代において出版されたわけです。これが意味するのは、やはり『基礎づけ』は200年経っても(少なくとも独学で読むには)難しい!!ということでしょう。本書は短いがゆえに、必要な知識なしには読みにくいのです。

さて、本書は哲学の中でも道徳哲学、もしくは倫理学に関する著作です。道徳哲学とは、行為の正不正、または善悪を扱う部門であると言えます。例えば、他人の嘘をつくことはつねに不正でしょうか、それともその嘘によって人が幸せになるのであればその嘘は正しいのでしょうか。みなさんもこのような倫理的ジレンマに何度となく遭遇したことはあるのではないかと思います。

この問いに対するカントの答えは「いついかなる時も嘘をついてはならない」というものです。その理由は主に『基礎づけ』第二章後半で展開されますが、まさにこの箇所の議論は多くの点で現代にも影響を与えています。例えば、多くの世界中の法的文書に盛り込まれている「人間の尊厳」という考えもカントに端を発するものです。あるいは、結果よりも動機が大事だという考えも、まさにカントに特有なものです。

今回の講義では、このようなカントの道徳哲学を代表する『基礎づけ』を解説していきます。カントが道徳を構築していく見事な流れを追跡していきましょう。もちろん、五週間の講義ではこれ以上を望むことは難しいですが、可能であればカントの見解をさらに批判的に検討していきます。せっかくなので、本講義では、先述の二冊の解釈も紹介してみたいと思います(くれぐれも申しておきますが、これらは本講義の教科書ではありませんので、入手していただく必要はありません)。ただし、テキストの難解さゆえ、本講義は決して楽なものではありません。細かな論点は省かざるを得ませんが、気になる点はいくらでもSlackにてご質問ください。

ぜひこの機会に、『基礎づけ』を手に取って本講義に参加していただきたいです。誰も「置いてけぼり」にはしません。チャレンジングな体験に旅立ちましょう!!それでは、講義でお会いできるのを楽しみにしております!!

・本講義に参加される場合は、『道徳形而上学の基礎づけ』(大橋容一郎訳、岩波文庫、2024年)をご準備ください。私の授業では主にこの翻訳を使用します。あるいは、『カント プロレゴーメナ 人倫の形而上学の基礎づけ』(野田又夫訳・中公クラシックス)でもかまいません。講義資料では、どちらの翻訳を使用してもついていけるように、(頁数などの標記などにおいて)配慮する予定です。また、これら以外の翻訳を使用いただいてもかまいませんが、頁数などの標記については配慮できませんのでご了承ください。

・本講義はデフォルトで30分延長します。2時間講義と理解ください。

髙
髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥8,400
心は泣いたり笑ったり

LIVE
26 | 03/28 - 04/25

心は泣いたり笑ったり

 この講義では、ノーベル文学賞の発表が見送られた2018年に、代替賞として創設されたニュー・アカデミー文学賞を受賞したフランス語作家マリーズ・コンデ(1934-2024)の自伝的作品、『心は泣いたり笑ったり――マリーズ・コンデの少女時代』(原題:Le Cœur à rire et à pleurer, contes vrais de mon enfance, 1999, 以下『心は泣いたり笑ったり』と略記)を読みます。


 マリーズ・コンデは、カリブ海に浮かぶフランス領グアドループ島出身の黒人女性作家です。フランスの高校・大学で学び、ガーナやセネガルなどのアフリカ諸国でフランス語を教えたのちに、アメリカの大学でも教鞭を取った彼女は、特定の場所に対する強い帰属意識を持っていたわけではありません。しかし一方で、出身地グアドループをはじめとしたカリブ海世界が、作家にとって創作の源泉となる極めて重要な場所だったこともまた無視できない事実でしょう。そして、その背景には、今なおこの地域が影響を受け続けている、かつての奴隷制度と植民地支配に対するコンデの鋭い批判があるのです。


 1976年に作家デビューを果たしたコンデは、当初アフリカを題材に小説を書いていましたが、『わたしはティチューバ セイラムの黒人魔女』(1986)以降、頻繁にカリブ海世界を作品の舞台に選んでいます。今回取り上げる『心は泣いたり笑ったり』の主な舞台も、彼女の出身地であるグアドループです。自身の少女時代を回想する本作では、幼少期からパリで大学生活を送るころまでの日常が、ユーモラスに描かれていきます。中でも注目すべきは、一見すると些細な出来事の描写から、西洋諸国と旧植民地、とりわけフランスとグアドループとの間に現在も残る構造的な差別や疎外状況が浮き彫りになる点でしょう。そのことは、例えばコンデの母親の姿からも見て取れます。教師でエリート意識が強い母は、同郷人の多くが話すクレオール語(現地語とフランス語の混成言語)を見下し、「正しい」フランス語を話すよう子どもを教育していました。しかし、この事実こそ、植民地の黒人が旧宗主国の影響なしに生きられない疎外状況を示しています。純粋な子どもの視点から、コンデはこうした社会的現実を明らかにしていくのです。


 『心は泣いたり笑ったり』は、一部のクレオール語表現を除き、おおむね平易な言葉で書かれています。そのため、文意を理解するだけであれば必ずしも難解とは言えないかもしれません。しかし、おそらく多くの日本の読者にとって、フランス語圏カリブ海世界は馴染みが薄い地域なのではないでしょうか。コンデの作品を読むには、作家自身の人生とカリブ海という地域の歴史の双方を学ぶことが不可欠であり、これらの情報を提供することで、作品の魅力をより深く味わっていただけるはずです。


 そこで、本講義では、「歴史」、「言語」、「疎外」といったカリブ海の文学における重要テーマについてみなさまと考えつつ、マリーズ・コンデの『心は泣いたり笑ったり』をゆっくりと読んでいきます。コンデの作品には、植民地支配という暗い過去の影響が根底に流れているにもかかわらず、時折笑いに誘われるような独特な魅力があります。そうした作品の面白さを、みなさまと共有できれば嬉しく思います。


 なお、この講義では、マリーズ・コンデ、くぼたのぞみ(訳)、『心は泣いたり笑ったり』、白水Uブックス、2024年を使用します。


山
山内瑛生
¥8,500
経済成長がすべてか?

LIVE
26 | 02/27 - 03/27

経済成長がすべてか?

 本講義では、アメリカの哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha C. Nussbaum, 1947-)の著作『経済成長がすべてか?デモクラシーが人文学を必要とする理由』(以下では『経済成長がすべてか』と表記)を取り上げます。ヌスバウムは、現代の英語圏において最も影響力のある哲学者の一人です。その主要な活動領域は、古代哲学研究、国際開発論、フェミニスト哲学、リベラルな正義論など、極めて多岐にわたり、多くの著書が日本語に翻訳されています(ヌスバウムは多作な書き手なので、未邦訳の著書もたくさんあります)。

 しかしながら日本では、ヌスバウムが「教育」について思索を展開した思想家でもあることはあまり知られていないのではないでしょうか(そのことは、『経済成長がすべてか』で検討される主題をより詳細に展開した著作『人間性を涵養する(Cultivating Humanity, 1997年にハーバード大学出版会より公刊)』が、日本ではほとんど紹介されていないことからも窺えます。本講義では、『人間性を涵養する』の内容も折に触れて解説・紹介します)。

 本講義で取り上げる『経済成長がすべてか』は、第一に、文学や哲学、歴史学等を含む「人文学」や「芸術」の果たす役割を論じた哲学書です。文系不要論が叫ばれる現代日本においても、人文学や芸術の公共的価値をめぐってさかんに議論が展開されています。ヌスバウムは、経済的な競争力を維持するため―短期的な利益の追求のために、国家が人文学や芸術を切り捨てるさまを厳しく批判します。第二に本書は、人文学や芸術を題材として、ヌスバウムが「教育」についての思索―教育とは何か、さらに、学校や大学で行われる公共的な教育はいかなる価値を担うべきかといった問いについての思索を全面的に展開した作品でもあります。

 ヌスバウムは、現代英語圏の哲学者として、明晰さを美徳とする広義の分析哲学の伝統に依拠しつつも、古典文献学者としての素養に裏打ちされた豊かな文学的教養を背景に、社会公共の問題に積極的に関与する公共的知識人(パブリック・インテレクチュアル)として哲学を実践してきました。『経済成長がすべてか』は、プリンストン大学出版の「公共の広場」シリーズの一冊として一般読者を念頭に執筆された本であるために、哲学書としては比較的平明な論述がなされています。ただし、平明であることは、哲学的な深みを欠いていることを意味しません。論述の平明さと哲学的な洞察の豊かさとを両立させているのが、公共的知識人としてのヌスバウムの面目躍如といったところです。

 本書の精読を通じてわたしたちは、教育についてヌスバウムが何を考えているのかを知ることができるのみではなく、ヌスバウムの哲学の全体像の見取り図を手にすることができます。それは、人文学と教育の公共的使命についてのさらなる哲学的思索を拡げるための、最良の手がかりとなるのではないでしょうか。


※講義では、マーサ・ヌスバウム『経済成長がすべてか?デモクラシーが人文学を必要とする理由』(小沢自然・小野正嗣訳、岩波書店、2013年)を使用します。こちらの邦訳をお手元にご用意いただくことをおすすめします。なお、原書はMartha C. Nussbaum, Not for Profit: Why Democracy Needs Humanities(Princeton University Press, 2010年)です。講師は必要に応じて原書を参考にすることがありますが、参加者の方々にはご用意の必要はありません。また、講義計画の都合上、第3章および第7章については、詳細には扱わない予定です。なお、講義の進行状況等に応じて、講義計画には変更の可能性があります。

柳
柳田和哉 (関西大学)
¥7,500
『哲学入門』

LIVE
26 | 02/21 - 03/21

本講義では、20世紀を代表するドイツの精神病理学者であり、哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)の著書『哲学入門』を読んでいきます。本講義では、特に第五講「無制約的な要求」を中心に講義を行っていきます。第六講「人間」につきましても、適宜解説を行っていく予定です。

昨年度は、『哲学入門』のうち、第一講「哲学とは何ぞや」、第二講「哲学の根源」、第三講「包括者」を中心に解説をしていきました。気になる方は、オンデマンド講義が視聴できるかと思いますので、よろしければご覧くださいませ。

この『哲学入門』は、ヤスパースが1949年秋にスイスのバーゼル放送局で行った全12回のラジオ講演をもとに、翌1950年に刊行されたものです。

この『哲学入門』を手に取り、読んだ方はこんなことを思ったかもしれません。

「『哲学入門』と書いてあるから、哲学の入門書だと思って読んでみたら、「ヤスパース哲学」の入門書やないかい!」

私もその一人でした(笑)。大学1年生の頃に、英語で哲学書を講読するゼミの中で、この『哲学入門』を読んだのですが、同じことを思いました。その時はなんだか騙された気分になったものです。たしかに本書は、ヤスパースの考える哲学、いわゆる「実存哲学」をベースに論が展開されるものですので、いわゆる一般的な哲学の入門書・概説書には当たらないかもしれません。

ですが、皆さまも一度は「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」という疑問を抱いたりすることはないでしょうか?このように、自分自身や自分の人生を問いに附し、その答えを求めて思索を行うことは、誰にでもあることではないかと思います。そういった方に、この『哲学入門』はオススメです。なぜなら、本書の中でヤスパースの説く哲学、いわゆる実存哲学とは、今ここに生きている「この私」自身が、自分の人生を見つめ直しながら、自分自身の思索を深めていく営みを意味するのですが、その手引きを行おうとする著作が、この『哲学入門』だからです。ですので、改めて申し上げますと、哲学あるいは哲学史の概説を行うには不向きな本なのかもしれません。ですが、それでも「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」などの問いを抱いている方にとって、その答えのヒントを指し示してくれるものが、この『哲学入門』です。ぜひ本講義に参加していただけたらと思います。

またさきほど、この『哲学入門』は「ヤスパース哲学」の入門書であるとも述べました。それもそのはず、ヤスパースの哲学は難解なものが多いですが、そのエッセンスが簡潔にまとめられたものが本書『哲学入門』です。また皆さまにとって身近で手に取りやすいヤスパースの著書といえば、この『哲学入門』ということでもあります。そのため、『哲学入門』はヤスパース哲学を学ぶための導入としてふさわしい著書と言えることから、本講義で扱うこととなりました。

ですが、この『哲学入門』を読み進める中で、こんなことを思ったりする方もきっといらっしゃるかと思います。

「第一講・第二講の内容もわかったぞ!でも、その次の第三講の「包括者」がよく分からない...」

同じく私もその一人でした(笑)。大学1年生のころ、さきほどのゼミにて、「邦訳でいいので、何講か自分で選んで読んで、内容を簡潔にまとめよ」という夏休みのレポート課題が出された際に、再び『哲学入門』を手に取って読んでいたのですが、第三講のところはいくら読んでもてんでよくわかりませんでした。

なぜそうなるのかと言えば、この『哲学入門』は、位置づけとしては後期ヤスパース哲学の著作にあたるものだからです。まず、前期ヤスパース哲学についていえば、その主著である『哲学』の内容をもとに、特に「実存」についての内容を強調するのですが、それに対して、後期ヤスパース哲学は、前期ヤスパース哲学の内容を受け継ぎつつ、実存よりも、他者との交わりへと衝迫する「理性」についての内容を強調する記述が増えていきます。つまり、前期ヤスパース哲学の内容がある程度わからないと、後期ヤスパース哲学の著書に位置付けられる『哲学入門』もわからないということを意味します。

そのようなことではございますが、本講義では、前期ヤスパース哲学の内容も振り返りつつ、しっかりと『哲学入門』の解説を行っていきます。この『哲学入門』が初見の方でもわかりやすい解説を心がけて講義を行っていきますので、安心して本講義に参加していただければと思います。

また、2月分放送のNHK「100分de名著」では、ヤスパース『哲学入門』が扱われるとのことです(講師は戸谷洋志先生)。本講義では、この放送で解説しきれなかった箇所も取り扱って、講義を行いたいと考えております。ですので、もしNHK「100分de名著」の放送でヤスパース『哲学入門』に興味を持ち、もっと詳しくヤスパースについて学びたいと思った方は、ぜひ本講義の受講をオススメいたします。

以上となりますが、このようにヤスパースの『哲学入門』を読んで、挫折してきた方が数多くいらっしゃるのではないかと思います。哲学書に挫折はつきものです。ですが、その挫折こそ再び「哲学すること」のきっかけとなります。途中で挫折した方も、初見の方も楽しめるような講義を行っていきたいと思います。

 

使用するテキストについて

本講義では、主に草薙正夫訳『哲学入門』(新潮文庫)を用いる予定ですが、林田新二訳『新版 哲学入門』(リベルタス学術叢書9)を読んでいただいても構いません。

草薙訳は、実存主義哲学がまだ隆盛を誇っていた時代に翻訳されていたため、実存的なニュアンスがありありと残る訳になっておりますが、少し文語的な訳なのでその点読みづらいという欠点があります。

対して林田訳の方は、口語的に翻訳されている点では読みやすいものの、ヤスパース研究者である林田先生��訳にこだわって翻訳したということもあり、研究者目線では正確に訳されているものの、その分一般の方々にとってはかえってわかりづらい部分があったりするという欠点があります。

本講義は、適宜両邦訳を用いていきますので、両邦訳の訳出の違いなども含めて、本講義を楽しんでいただけたらと思います。

また、副読本としてNHK「100分de名著」の『哲学入門』を読んでいただいても構いません。私も読んでみたいと思いますので、そのNHK「100分de名著」の放送内容と本講義との違いも含めて楽しんでいただけたらと思います。

また、参考とする原典としましては、Karl Jaspers, Einführung in die Philosophie / Kleine Schule des philosophischen Denkens (Karl Jaspers Gesamtausgabe, Bd. I/11), hg. von Dirk Fonfara, Schwabe.というドイツ本国で近年出版されております、『ヤスパース全集(原題:Karl Jaspers Gesamtausgabe)』版のものを使用いたします。

この『ヤスパース全集』版では、ヤスパース研究者の編集による解説やコメンタリーなどが載っておりますので、適宜それも紹介していきながら、講義をしていきたいと考えております。

中
中村元紀 (明海大学浦安キャンパス)
¥9,000
イメージ、それでもなお

LIVE
26 | 01/10 - 02/07

イメージ、それでもなお(989)

    本講義の目的は、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』を精読し、アウシュヴィッツ=ビルケナウにおいて命がけで撮影された四枚の写真に関するディディ=ユベルマンの分析を、イメージ学・視覚文化論・歴史哲学の観点から多角的に理解することにあります。本書は、単にホロコーストの「証拠写真」を論じるにとどまるものではありません。むしろディディ=ユベルマンは、アウシュヴィッツという極限状況を通して、写真をめぐる倫理的・歴史的・認識論的問いを根底から掘り下げ、「イメージとは何か」という普遍的な問題へと読者を導きます。

 本書の中心に据えられているのは、「イメージはすべてに抗して(malgré tout)生まれる」という命題です。これは単なる印象的スローガンではなく、イメージとは、歴史の暴力的な抹消、証言の禁止、死の産業的制度、そして〈見ること〉そのものの破壊を企てる政治的装置の只中から、「それでもなお(malgré tout)」生成してしまう——その出来事性を指すものです。ディディ=ユベルマンにとってイメージとは、外界を模写する静的対象ではなく、不可視化の制度を破り現れる痕跡であり、記憶の「閾」を構成するものにほかなりません。

 本書がとりわけ示唆的なのは、「表象不可能性」という概念をめぐる批判的検討です。アウシュヴィッツを「表象不可能だ」と述べる態度は、一見すると敬意を示すもののように見えます。しかしディディ=ユベルマンは、それがしばしば「怠惰」を招き、歴史の痕跡へ向き合う努力を停止させてしまう危険を鋭く指摘します。彼はむしろ「想像する責任」を強調し、イメージがもたらす倫理的要求を受け止める責任を説くのです。

 本講義の最終的な目標は、四枚の写真が単なる「証拠」ではなく、見ること・語ること・思考することを根底から揺さぶる「イメージ」であることを理解することにあります。ディディ=ユベルマンの読みの核心に触れつつ、イメージの倫理と政治、そして歴史的責任についての考察を深めていきます。

 このような問題意識に基づき、本講義では全5回にわたりテクストを購読します。冒頭から順を追って読み進め、各パートの要点を丁寧に解説します。

   なお、この講義では以下の邦訳を用い、適宜原文も参照します。邦訳は基本的には、2025年版の平凡社ライブラリーを用いますが、講義では2006年版の該当頁も記載します。
・ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお  アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真(平凡社ライブラリー989)』橋本一径訳、平凡社、2025年。
・ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお  アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』橋本一径訳、平凡社、2006年。
・Georges Didi-Huberman, Images malgré tout, Paris, Minuit, 2003.

 みなさんのご参加を心よりお待ちしております。

村
村山雄紀 (日本学術振興会特別研究員PD)
¥7,800
人種契約

LIVE
26 | 01/09 - 01/30

人種契約

今日、グローバル化が世界を「一つ」にするどころか、ますます「私たち」と「彼ら」、「自国民」と「外国人」といった分断を深めているように見えます。イスラエルとパレスチナの「戦争」も終わるようで終わらず、国際社会もそれについてほとんど為す術を持ちません。このような現実を目の当たりにして、何か今日の社会システムの根底にある種の「欺瞞」があるのではないか、と思う人も少なくないでしょう。私たちの世界は、いつから・どこから間違えてきてしまったのでしょうか。

「白人が「公平さ(ジャスティス)」って言うときは、「自分たちだけ(ジャスト・アス)にとって公平」という意味だ」——このような挑発的なエピグラフを掲げるのは、哲学者チャールズ・W・ミルズの主著であり、批判的人種理論や「無知の認識論」の古典でもある『人種契約』(原書1997年)です。

「人種契約」とは、西洋人が現代のリベラリズムの前提としてきた「社会契約」が、実はその根底に、世界を白人とそれ以外とに分ける暗黙の合意を隠し持ってきたことを暴き出す概念です。私たちの誰もが、いわば普遍化され、それゆえ不可視化されてもいる人種差別の構造の中に生きています。ならば、それを認識し、変えていくにはどうすればよいのでしょうか。

本書は10個のテーゼとその解説からなっています。例えば最初のテーゼは「人種契約は政治や道徳、認識論にかかわる」ですが、これだけでは抽象的です。また、ミルズの解説も、哲学や政治思想の語彙が散りばめられ、決して読みやすいものではありません。そこでこの講義では、これらのテーゼを軸に、言葉を解きほぐし、���景知識や文脈を補いながら本書を読み進めていきたいと思います。

なお、この講義では以下の邦訳を用い、適宜原文も参照します。
・チャールズ・W・ミルズ『人種契約』杉村昌昭・松田正貴訳、法政大学出版局<叢書・ウニベルシタス>、2022年。
・Charles W. Mills, The Racial Contract, Cornell University Press, 1997.(ただし翻訳は25周年記念版による)

哲学書を読み慣れない方のためにできるだけ丁寧に解説していきますので、上記のテーゼが難しいと感じた方も、ぜひ安心してご受講いただければと思います。

多くの方のご参加を心よりお待ちしております!

鶴
鶴田想人 (東北大学)
¥7,920
哲学入門

ON-DEMAND
26 | 01/09

哲学入門-入門編

この講義は、2025年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

本講義では、20世紀を代表するドイツの精神病理学者であり、哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)の著書『哲学入門』を読んでいきます。この著書は、ヤスパースが1949年秋にスイスのバーゼル放送局で行った全12回のラジオ講演をもとに、翌1950年に刊行されたものです。

この『哲学入門』を手に取り、読んだ方はこんなことを思ったかもしれません。

「『哲学入門』と書いてあるから、哲学の入門書だと思って読んでみたら、「ヤスパース哲学」の入門書やないかい!」

私もその一人でした(笑)。大学1年生の頃に、英語で哲学書を講読するゼミの中で、この『哲学入門』を読んだのですが、同じことを思いました。その時はなんだか騙された気分になったものです。たしかに本書は、ヤスパースの考える哲学、いわゆる「実存哲学」をベースに論が展開されるものですので、い��ゆる一般的な哲学の入門書・概説書には当たらないかもしれません。

ですが、皆さまも一度は「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」という疑問を抱いたりすることはないでしょうか?このように、自分自身や自分の人生を問いに附し、その答えを求めて思索を行うことは、誰にでもあることではないかと思います。そういった方に、この『哲学入門』はオススメです。なぜなら、本書の中でヤスパースの説く哲学、いわゆる実存哲学とは、今ここに生きている「この私」自身が、自分の人生を見つめ直しながら、自分自身の思索を深めていく営みを意味するのですが、その手引きを行おうとする著作が、この『哲学入門』だからです。ですので、改めて申し上げますと、哲学あるいは哲学史の概説を行うには不向きな本なのかもしれません。ですが、それでも「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」などの問いを抱いている方にとって、その答えのヒントを指し示してくれるものが、この『哲学入門』です。ぜひ本講義に参加していただけたらと思います。

またさきほど、この『哲学入門』は「ヤスパース哲学」の入門書であるとも述べました。それもそのはず、ヤスパースの哲学は難解なものが多いですが、そのエッセンスが簡潔にまとめられたものが本書『哲学入門』です。また皆さまにとって身近で手に取りやすいヤスパースの著書といえば、この『哲学入門』ということでもあります。そのため、『哲学入門』はヤスパース哲学を学ぶための導入としてふさわしい著書と言えることから、本講義で扱うこととなりました。

ですが、この『哲学入門』を読み進める中で、こんなことを思ったりする方もきっといらっしゃるかと思います。

「第一講・第二講の内容もわかったぞ!でも、その次の第三講の「包括者」がよく分からない...」

同じく私もその一人でした(笑)。大学1年生のころ、さきほどのゼミにて、「邦訳でいいので、何講か自分で選んで読んで、内容を簡潔にまとめよ」という夏休みのレポート課題が出された際に、再び『哲学入門』を手に取って読んでいたのですが、第三講のところはいくら読んでもてんでよくわかりませんでした。

なぜそうなるのかと言えば、この『哲学入門』は、位置づけとしては後期ヤスパース哲学の著作にあたるものだからです。まず、前期ヤスパース哲学についていえば、その主著である『哲学』の内容をもとに、特に「実存」についての内容を強調するのですが、それに対して、後期ヤスパース哲学は、前期ヤスパース哲学の内容を受け継ぎつつ、実存よりも、他者との交わりへと衝迫する「理性」についての内容を強調する記述が増えていきます。つまり、前期ヤスパース哲学の内容がある程度わからないと、後期ヤスパース哲学の著書に位置付けられる『哲学入門』もわからないということを意味します。

そのようなことではございますが、本講義では、前期ヤスパース哲学の内容も振り返りつつ、しっかりと『哲学入門』の解説を行っていきます。この『哲学入門』が初見の方でもわかりやすい解説を心がけて講義を行っていきますので、安心して本講義に参加していただければと思います。

以上となりますが、このようにヤスパースの『哲学入門』を読んで、挫折してきた方が数多くいらっしゃるのではないかと思います。哲学書に挫折はつきものです。ですが、その挫折こそ再び「哲学すること」のきっかけとなります。途中で挫折した方も、初見の方も楽しめるような講義を行っていきたいと思います。

使用するテキストについて

本講義では、主に草薙正夫訳『哲学入門』(新潮文庫)を用いる予定ですが、林田新二訳『新版 哲学入門』(リベルタス学術叢書9)を読んでいただいても構いません。

草薙訳は、実存主義哲学がまだ隆盛を誇っていた時代に翻訳されていたため、実存的なニュアンスがありありと残る訳になっておりますが、少し文語的な訳なのでその点読みづらいという欠点があります。

対して林田訳の方は、口語的に翻訳されている点では読みやすいものの、ヤスパース研究者である林田先生が訳にこだわって翻訳したということもあり、研究者目線では正確に訳されているものの、その分一般の方々にとってはかえってわかりづらい部分があったりするという欠点があります。

本講義は、適宜両翻訳を用いていきますので、両翻訳の訳出の違いなども含めて、本講義を楽しんでいただけたらと思います。

中
中村元紀 (明海大学浦安キャンパス)
¥5,000
道徳および立法の諸原理序説 上

ON-DEMAND
25 | 12/30

道徳および立法の諸原理序説 上

この講義は、2025年10月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

人を幸福にするか、不幸にするか。みなさんはどちらの方が正しいと思いますか。おそらく多くの人が(瞬間的に?)「幸福にする方が正しいに決まっている!」と思われたのではないでしょうか。この一見すると当たり前のセオリーを唱えたのが、18世紀イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832年)でした。

端的に言えば、ベンサムは正しい行為や政策とは、「最大多数の最大幸福」を促進するものであると考えます。このベンサムの立場は「功利主義」と呼ばれています。今回講義で扱うのは、このベンサムが功利主義を提唱した『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)です。

この功利主義の基本的な発想には異論がないかもしれませんが、「そもそもどうやって人の幸福を計算できんねん!?」という突っ込みがありうるでしょう。例えば、あなたに飴ちゃんをあげるのと、チョコレートをあげるのとでは、どちらの方があなたの幸福をより増幅させるのでしょうか。そう、ベンサムはこのように人の幸福を計る方法までも真面目に考えだそうとしたのです。この功利主義の発想は、現在ではとりわけ社会制度設計などの理想とされています。そりゃそうですよね、私の人生設計ならだしも、社会制度の設計ですから、最大多数の最大幸福に資するものではないと正当化されないと考えられるわけです。本講義では、『道徳および立法の諸原理序説』のうち、最初のいくつかの章を読んでいくことで、功利主義の基本的な発想に触れていただきます。

ベンサムの業績としては、当時禁止されていた「同性愛」を擁護したことが知られています。また、後にミシェル・フーコーによって有名になった「パノプティコン」を提唱した人物でもあります。実はこれらのアイデアも、ベンサムの功利主義に由来します。(なお、ベンサムの身体は現在、ミイラとして大学に展示されていますが、これも功利主義の発想に由来するとされています。)本講義ではこういったベンサムの功利主義の実例と共に、具体的な例をあげて考えていきましょう。

さて、同じ時代にドイツで活躍したイマヌエル・カントの倫理学とは異なり、ベンサムの功利主義は現在に至るまで多くのフォロワーを輩出しました。有名どころであれば、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)やピーター・シンガー(1946年-)でしょうか(彼らの著作は私がThe Five Booksで担当したことがあります。ミルの著作は今後も担当する予定です)。彼らによって功利主義は大幅に改良され、現代でも主要な倫理学理論の地位を得ています。本講義ではこれらのベンサム以降の功利主義の発展も視野に収めながら進めていきます。

※中山元訳『道徳および立法の諸原理序説 上』(ちくま学芸文庫、2022年8月)をご用意ください。

髙
髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥5,500
幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇

ON-DEMAND
25 | 12/26

幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇

この講義は、2022年10月および2023年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

この講義では、オンデマンド形式で週間かけてみなさんとアメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの代表的著作の一つ、『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)を読んでいきます。

角講義では、毎回50ページほどのペースで本を読み進めつつ、毎回1本の映画を同時に扱います。

主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。

そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。しかし、映画というメディウムの特徴や「映画の存在論」を論じた哲学書である『眼に映る世界』(1971)を除いて、具体的な映画作品を論じた書籍がこれまで翻訳されてこなかったことから、日本ではこれまでカヴェルの議論に十分な注目が集まってきたとは言えない状況にあります。

カヴェルにとってはじめての映画作品を中心的に論じた著作である本書『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』は、『レディ・イヴ』(1941)、『或る夜の出来事』(1934)、『赤ちゃん教育』(1938)、『フィラデルフィア物語』(1940)、『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)、『アダム氏とマダム』(1949)、『新婚道中記』(1937)を「映画芸術の歴史における一つの到達点」として評価し、その意義を考察した一冊です。この本でカヴェルは、通常「スクリューボール・コメディ」として知られるこれらの作品を「再婚喜劇」という独自のジャンルカテゴリーを設けて提示しています。

カヴェルは、一度仲違いしたカップルが再び結ばれる、かつて「元サヤ」と呼ばれた展開を共有するこれらの再婚喜劇映画に、ラルフ・ウォルド・エマソンやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの思想との類縁性、さらには映画作品に対峙する観客のあり方とも重なるものを見出していきます。こうした彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと思います。

本書刊行に続き、内容的に対をなす『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社)の日本語訳も出版され、今後カヴェルの映画論をめぐる日本語圏の議論は、間違いなく盛り上がっていくと思われます。今回は、同作との関連についても要所で言及しつつ、今なお新鮮な『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』後半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるように努めたいと考えています。

本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはロマンティック・コメディ映画や映画論全般に関心を���つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。

使用テクスト:『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022年)を使用します。第2回以降には各回1本の映画(『フィラデルフィア物語』、『ヒズ・ガール・フライデー』、『アダム氏とマダム』、『新婚道中記』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなく配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。(参照 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01144-3.html

また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

冨
冨塚亮平
¥5,500
場所

LIVE
25 | 11/28 - 12/19

  この講義では、2022年にノーベル文学賞を受賞したフランス人作家アニー・エルノーの代表作の一つである『場所』(原題:La Place)の全文を読みます。1940年にフランス北部のノルマンディー地方に生まれた彼女は、自伝的な作品を書き続ける中で、家族やジェンダーなど、現代社会を考える上で重要な諸問題を扱ってきました。

 中でも注目すべきは、エルノーが、いわゆるブルーカラーの両親のもとに生まれたにもかかわらず、大学を卒業して教員となった事実でしょう。彼女の両親は、カフェ兼食料品店を営んでいましたが、もともとは労働者階級に属していました。社会階層を超えたことで生じた葛藤は、エルノーの作品に繰り返し登場する主題です。デビュー作の『空の箪笥』(1974)以来、同テーマは反復されてきましたが、そのことは今回読む『場所』にも共通しています。

 1984年に発表された『場所』は、同年フランスの高名な文学賞であるルノドー賞を獲得し、エルノーの名前がフランス文壇に知られるきっかけとなった重要な作品です。自伝および伝記的な性質を持つ本作では、作家自身の姿と重なる語り手が、父親の人生を再構成していきます。農場や工場で労働者として働いてきた父は、同じく工場労働者だった母と出会い、後にカフェ兼食料品店を開店します。両親にとって、カフェの経営者になることは、労働者の悲惨さを脱し、社会のはしごを一段上る重要な経験でした。しかし、二人の間に生まれた娘、すなわち語り手は、カトリック系の私立の女子校に通い、大学を卒業して、やがて教師になります。階級の越境を経験した彼女は、二つの世界の板挟みになり、葛藤を覚えます。父も、娘に対する尊敬と嫉妬の相反する感情を抱き続けており、そうした登場人物の複雑な心情が抑制された筆致で描かれていくのです。

 エルノーの作品は、比較的簡潔な文体で書かれており、『場所』に関しても、文意を把握するだけであれば、それほど難解とは言えません。しかし、自伝的作品という性質上、作者自身の経歴を知ることは必要不可欠です。また、エルノーは自身の人生を語る中で、それを常に社会や言語といったより広い問題と結びつけようとします。そのため、フランス社会やフランス語についての情報を提供することで、作品をより深く理解することが可能になるでしょう。 

 そこで、本講義では、「自伝」、「社会階級」、「言語」といったエルノー文学のキーワードについてみなさまと考えながら、『場所』というテクストを読み進めていきます。エルノーが描いているのは主にフランス社会ですが、その問題意識は現代の日本を生きる私たちと無関係ではありません。特に、近年「格差社会」の弊害が指摘される日本においては、『場所』に見られる「社会階級」に関する問いは多くの示唆を与えてくれるはずです。本講義を通じて、みなさまがエルノーの作品に少しでもご関心をお持ちになっていただければ嬉しく思います。

 なおこの講義では、アニー・エルノー、堀茂樹(訳)、『場所』、早川書房、1993年を使用します。                                 

山
山内瑛生
¥6,800
涙の果て

ON-DEMAND
25 | 11/22

涙の果て

22年10月、23年3月に実施した『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)をめぐる講義に続き、この講義では同書と内容的に対をなすスタンリー・カヴェル『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年、原書:1996年)の前半を扱います。毎回40~50ページほどのペースで本を読み進めつつ、3回目と4回目にはそれぞれ一本の映画を同時に扱います。

主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。

そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。

近年立て続けに主著の翻訳が刊行されたことで、ようやく日本においてもカヴェルの多岐にわたる仕事を再考する機運が高まってきているように思います。本講義では、彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと考えています。前回までの講義で扱った『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』との関連についても要所で言及しつつ、『涙の果て』前半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるよう努めます。

本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはメロドラマ映画やロマンティック・コメディ映画、映画論全般に関心を持つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。

使用テクスト:『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年)序文から第2章までを読みます。重要な箇所については一部原文との対比を行う可能性がありますが、その際は原文の英語を動画内で紹介しますので原書の入手は不要です。第3回以降には各回一本の映画(『ガス燈』、『忘れじの面影』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなくU-NEXT、Amazon Primeなどの配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。

また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

冨
冨塚亮平
¥6,600
ライプニッツ–アルノー往復書簡

LIVE
25 | 11/20 - 12/18

ライプニッツ–アルノー往復書簡

17世紀を代表する哲学者デカルトの生誕から約50年後、1646年、ドイツの街ライプツィヒで、ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは生まれました。幼少期から非凡な才を示した彼は、のちに歴史に残る多方面の業績を挙げます。数学ではニュートンとは独立に微分積分法を発明し、哲学では晩年の著作『モナドロジー』で独創的な体系を結晶させました。その思想は後世の哲学に広く影響を与え、日本では哲学者・坂部恵が「ライプニッツは千年単位の天才、カントは百年単位の天才」と評したことでも知られています。 

The Five Booksでは、これまで『形而上学叙説』や『モナドロジー』を取り上げて講座を行ってきました。今回は少し趣向を変え、ライプニッツが当時の著名な神学者アントワーヌ・アルノーとの間で交わした往復書簡に焦点を当てます。これは、直前に執筆された『形而上学叙説』を手がかりとして始まる一連の書簡です。ライプニッツが自身の哲学を詳しく解説してくれているので、入門としてもお勧めの内容だと思います。

書簡を読む面白さは、完結した著作とは異なる「開かれた思考の軌跡」を追える点にあります。フランスの研究者クリスティアン・フレモンは、ライプニッツの書簡を「開かれたテクストであり、辿るべきテクストであって、問いは一度きりで提出されもしなければ、全面的に解決されもしない」と述べています(Christian Frémont, L’être et la relation: Essai sur la philosophie de Leibniz, Librairie philosophique J. Vrin, 1981, p. 19)。アルノーからの鋭い問いに応じるうちに、ライプニッツの思考は微妙に姿を変え、その変遷の現場が生き生きと立ち上がってきます。本講座では、そのダイナミズムを原文の流れに沿って丁寧に読み解きます。

本講座は、どのような方でも楽しんでいただけるように設計しています。まだライプニッツの思想に触れたことがない方にとっても、入門として役立つ講座となるはずです。既に他の著作をお読みの方にとっても、書簡という舞台ならではの発想の展開と調整のプロセスを、具体的なテクストに即して味わっていただけると思います。初回は、『形而上学叙説』からアルノーとの往復書簡、そして『モナドロジー』へと至る大づかみの見取り図を提示し、必要な背景を丁寧に共有しますので、予備知識がなくても安心して参加していただけます。

使用テクストについて

ライプニッツ–アルノー往復書簡の日本語訳はいくつか出版されています。本講座が基本的に参照するのは、アルノー側書簡も収める橋本由美子監訳『形而上学叙説/ライプニッツ–アルノー往復書簡』(平凡社ライブラリー)です。とはいえ、講義内ではアルノーからの書簡の要点も適宜説明しますので、ライプニッツ側からの書簡のみを収める佐々木能章訳『形而上学叙説』(岩波文庫)等でのご参加でも差し支えありません。岩波文庫版も注が充実しており、有用です。

三
三浦隼暉 (東京大学人文社会系研究科)
¥9,800
道徳および立法の諸原理序説 上

LIVE
25 | 10/17 - 11/21

道徳および立法の諸原理序説 上

人を幸福にするか、不幸に��るか。みなさんはどちらの方が正しいと思いますか。おそらく多くの人が(瞬間的に?)「幸福にする方が正しいに決まっている!」と思われたのではないでしょうか。この一見すると当たり前のセオリーを唱えたのが、18世紀イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832年)でした。

端的に言えば、ベンサムは正しい行為や政策とは、「最大多数の最大幸福」を促進するものであると考えます。このベンサムの立場は「功利主義」と呼ばれています。今回講義で扱うのは、このベンサムが功利主義を提唱した『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)です。

この功利主義の基本的な発想には異論がないかもしれませんが、「そもそもどうやって人の幸福を計算できんねん!?」という突っ込みがありうるでしょう。例えば、あなたに飴ちゃんをあげるのと、チョコレートをあげるのとでは、どちらの方があなたの幸福をより増幅させるのでしょうか。そう、ベンサムはこのように人の幸福を計る方法までも真面目に考えだそうとしたのです。この功利主義の発想は、現在ではとりわけ社会制度設計などの理想とされています。そりゃそうですよね、私の人生設計ならだしも、社会制度の設計ですから、最大多数の最大幸福に資するものではないと正当化されないと考えられるわけです。本講義では、『道徳および立法の諸原理序説』のうち、最初のいくつかの章を読んでいくことで、功利主義の基本的な発想に触れていただきます。

ベンサムの業績としては、当時禁止されていた「同性愛」を擁護したことが知られています。また、後にミシェル・フーコーによって有名になった「パノプティコン」を提唱した人物でもあります。実はこれらのアイデアも、ベンサムの功利主義に由来します。(なお、ベンサムの身体は現在、ミイラとして大学に展示されていますが、これも功利主義の発想に由来するとされています。)本講義ではこういったベンサムの功利主義の実例と共に、具体的な例をあげて考えていきましょう。

さて、同じ時代にドイツで活躍したイマヌエル・カントの倫理学とは異なり、ベンサムの功利主義は現在に至るまで多くのフォロワーを輩出しました。有名どころであれば、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)やピーター・シンガー(1946年-)でしょうか(彼らの著作は私がThe Five Booksで担当したことがあります。ミルの著作は今後も担当する予定です)。彼らによって功利主義は大幅に改良され、現代でも主要な倫理学理論の地位を得ています。本講義ではこれらのベンサム以降の功利主義の発展も視野に収めながら進めていきます。

※中山元訳『道徳および立法の諸原理序説 上』(ちくま学芸文庫、2022年8月)をご用意ください。

※11月15日はお休みですので、お気を付けください。

髙
髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥8,250
よい教育とはなにか

LIVE
25 | 10/04 - 11/01

よい教育とはなにか

 本講義では、オランダ出身の現代の教育哲学者、ガート・ビースタの著作『よい教育とはなにか:倫理・政治・民主主義』を取り上げます。この十年間ほどの間に、ビースタの著作は続々と日本語に翻訳され続けています。世界および日本の教育界で大注目を浴びている著者であるといってよいでしょう。ビースタの教育哲学の核心を端的に要約するなら、人間という存在に伴う「弱さ」や「不確かさ」が、人間が人間を対象として行う「教育」という営みの根本に置かれるべきであるという認識にあるといえるかもしれません。そのような認識を基盤として、ビースタは、教育研究におけるエビデンス信仰を批判したり、学校と社会のなかで民主主義を学ぶ方途を描き出そうとしたりします。

 ビースタの数ある著作のなかで『よい教育とはなにか』を取り上げるのは、まずもってこの本がとても便利な本だからです。まず、同書は多岐にわたるビースタ教育哲学全体への導入として読むことができます。『民主主義を学習する』(勁草書房、2014年)、『教えることの再発見』(東京大学出版会、2018年)『よい教育研究とはなにか』(明石書房、2024年)、『教育の美しい危うさ』(東京大学出版会、2021年)、といった、個々のトピッ���を主題として展開された他のビースタの著作群の問題関心が、各章にちりばめられているためです。

 そして、これはビースタの著作全般にいえることですが、教育に関する現代の具体的なトピックを主題として議論を展開していくために、ビースタの著作を検討するだけで、教育哲学研究のおいしい部分を味わってみることができるというおトクさを備えています。同時に、ビースタはそのような議論を、デューイやアーレント、レヴィナス、ランシエールといった著名な哲学者の議論を手がかりとしながら検討する、大陸哲学的な研究の方法を採用するタイプの哲学者でもあるので、哲学(史)や思想(史)そのものへの関心を背景としながら、現代の教育問題を眺めてもらうこともできます。

 ただし、こうした便利さやおトクさを備えた本であるために、ひょっとすると哲学の古典がもつ「読み応え」には欠けているかもしれません。難解な古典は、内容を理解するために、まずは著者の議論や意図を好意的に読むことを余儀なくされます。その意味では、この本は著者の見解に寄り添いながら読まなければならない性質の本ではありません(そのような読み方をしなくても十分に解読することができるからです)。実際、私自身はビースタの見解には全然賛同していません。ビースタの議論をあくまでも「たたき台」にして、みなさんとともに教育哲学のおいしいところを味わい、教育について私たち自身がもつ原理的な考えや価値の所在を辿ってみることが、この講義の目的です。


※講義では、ガート・ビースタ『よい教育とはなにか:倫理・政治・民主主義』(藤井啓之・玉木博章訳、白澤社、2015年)を使用します。こちらの邦訳をお手元にご用意いただくことをおすすめします。なお、原書はGert J. J. Biesta, Good Education in an Age of Measurement: Ethics, Politics, Democracy(Routledge, 2011年)です。講師は原書も必要に応じて参考にすることがありますが、参加者の方々にはご用意の必要はありません。また、講義計画の都合上、第3章および第6章については、詳細には扱わない予定です。

柳
柳田和哉 (関西大学)
¥8,800
看護覚え書

LIVE
25 | 09/03 - 10/01

看護覚え書

この講義では、看護学を学問として確立させたと言われているフロレンス・ナイチンゲールが著した『看護覚え書―看護であること看護でないこと―(第8版)』(現代社)を取り上げます。

ナイチンゲールに対して皆さんは「献身的に尽くす看護師」や「白衣の天使」といったイメージをお持ちではないでしょうか。しかしナイチンゲールは看護師であったと同時に、統計学者であり、公衆衛生学者であり、近代型病院の発案者でもあったことはあまり知られていません。『看護覚え書』は1859年に出版され、現在も看護師養成課程でも教科書として使用されています。医療の進歩が著しい現代においても読み継がれている理由として、ナイチンゲールの看護論が現代の医療でも極めて有用なものであるからに他なりません。

日本における看護師の業務は、保健師助産師看護師法で2つ定められています。診療の補助と療養上の世話です。皆さんが看護師の仕事としてイメージされるような採血や点滴は診療の補助に該当し、看護師が担う役割のごく一部に過ぎません。ナイチンゲールの『看護覚え書』では、特に療養上の世話について述べられています。

『看護覚え書』の内容は現在も色褪せておらず、現在の我々の生活にも直結しているものです。ナイチンゲールの書籍を通して看護学について学び、「看護とは何か?」について考えてみませんか?皆さんの参加をお待ちしております!

※講義期間の都合上、全ての章を読むことはできませんので、いくつかの章をピックアップして読み進めます。原著は複数回改訂されており、また版によって補章や付録が含まれていない可能性があります。今回は現代社から出版されている第7版以降を前提として講義を進めていくことをご了承ください。

今
今井けい (東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻臨床疫学・経済学)
¥8,800
宗教的経験の諸相 下

LIVE
25 | 08/01 - 08/29

宗教的経験の諸相 下

 この講義では、ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)の『宗教的経験の諸相』という著作の後半部を読んでいきます。ジェイムズは19世紀後半から20世紀初頭に活躍した米国の哲学者、心理学者で、「プラグマティズム」という考えの提唱者としても知られています。

 今回扱う『諸相』は、「宗教的」と形容されるさまざまな体験を、大量の日記や手紙、自伝といった資料を駆使しながら考察したもので、宗教心理学の古典にも数えられます。(とはいえ、この著作の射程は狭義の心理学に収まるものではなく、この世界の実相についてのジェイムズの考えが随所に展開されています。)

 ジェイムズが生きた19世紀後半から20世紀初頭にかけては、従来の宗教的信念と新興の自然科学的知見との緊張関係が強く意識される時代でした。ジェイムズは『諸相』以外にも多くの著作を書き、心理学や形而上学、倫理学など、多岐にわたる主題を論じていますが、宗教はそれらに共通するモチーフでした。いいかえれば、彼の思索活動は一貫して宗教の解明と擁護に向けられていました。そのジェイムズが「宗教」とはいかなるものであるかを主題的に論じたのが、この『諸相』という著作なのです。

 くわえて、宗教は現代においても世界的な関心事のひとつです。世界人口の8割以上が何らかの宗教を信じていると言われており、宗教は私たちの生活や社会と切りはなせない関係にあります。他方で、日本では、特定の宗教に属しておらず、明確な信仰や教義を持たないという人も多くいます。しかし、初詣や墓参り、お守りやお札、神社仏閣巡りといった明らかに宗教的な行動は、私たちの日常生活のなかに自然に組み込まれています(したがって、「日本人は無宗教である」という主張は、そのままでは端的に誤りだと思います)。こうしてみると、宗教は現代の私たちとも深く関わっているものであることが分かります。

 この講義では、ジェイムズの生きた時代と私たちが生きる現代との共通の関心事である宗教について考える視点のひとつとして、この『諸相』の後半部を読み解いていきたいと思います。宗教と科学(あるいは信仰と理性)はともすれば対立するものと見なされがちですが、両者のそれ以外の関係を模索したいと思います。みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

 なお、この講義では、現在最も入手しやすい岩波文庫版(桝田啓三郎訳、1969-70年)を使用します。ただ、その他の邦訳(あるいは原書)をお使いいただくことも可能です。

※この講義では、『宗教的経験の諸相』下巻を扱います。上巻についての講義は、同じくThe Five Booksにて2024年10月に開催しましたが、今回の講義でも、内容把握に必要な範囲で、上巻の情報を適宜盛り込み、立ち返りつつ進めていく予定です。また、上巻の講義資料も部分的に共有いたします。したがって、今回から受講していただいても読解に支障はありません。

大
大厩諒 (中央大学)
¥8,800
1941年。パリの尋ね人

LIVE
25 | 07/03 - 07/31

1941年。パリの尋ね人

 この講義では、フランスのノーベル賞作家パトリック・モディアノの代表作の一つである『1941年。パリの尋ね人』(原題:Dora Bruder, 1997)の全文を読みます。「モディアノ中毒 Modianesque」という言葉が生まれるほど本国で人気を博しているこの作家は、曖昧化していく記憶の儚さを主題に据えることで、人々に共感と感動を呼び起こしてきました。

 

 モディアノは、1945年に生まれ、現在も執筆活動を継続している小説家です。ユダヤ人の父を持つ彼の初期作品は、処女作の『エトワール広場』(1968)を筆頭に、自身���生まれる直前の「ナチス占領下のパリ」を舞台とし、「ユダヤ性」というアイデンティティの不確かさを描き出しています。四作目の『ヴィラ・トリスト』(1975)以降、同テーマは表立って扱われなくなりますが、作家のアイデンティティと不可分であるこの問いは、その後のモディアノの作品の根底に流れ続けていると言ってよいでしょう。

 

 『1941年。パリの尋ね人』は、そんなモディアノの作品の中でも、特別な作品です。それは、他の小説作品と異なり、本作が「ノンフィクション」、つまり虚構を排した物語だからです。第二次世界大戦の終結から40年以上も経ったある日、モディアノ自身の姿と重なる語り手の「私」は、戦時中の尋ね人広告を偶然見つけます。行方不明になっていたのは、ドラ・ブリュデールという名前のユダヤ人少女。彼女に興味を抱いた語り手は、半ば探偵小説の主人公のように、その足跡をたどっていくのです。ドラはどのような人生を送ったのか。なぜ行方不明になったのか。彼女に関する調査を進めていくうちに、モディアノは歴史の抗えぬ運命に翻弄された他のユダヤ人たちにも思いを馳せていきます。単なる「伝記」を超えた「物語」の奥深さに、読む者が胸を打たれることは間違いないでしょう。

 

 『1941年。パリの尋ね人』に限らず、モディアノの作品は一般に簡潔な文体で知られており、本作品も必ずしも難解とは言えないかもしれません。しかし、慣れない読者は、執拗なまでの固有名詞の羅列や、時間軸の交錯に戸惑いを覚えるのではないでしょうか。また、自伝的要素が散りばめられたその作品の理解には、作者自身の人生の軌跡を知ることも不可欠です。 

 

 そこで、この講義では、「記憶」、「自己」、「ユダヤ性」といったモディアノ文学の鍵となるテーマについてみなさまと考えつつ、『1941年。パリの尋ね人』をゆっくりと読み進めていきます。第二次世界大戦の終戦からちょうど80年の節目となる今年、戦争の「記憶」を自分のものとして留めている人はすでに多くはありません。しかし、そんな今だからこそ、現在の私たちに間接的にせよつながっている戦時期の「記憶」について、文学を通して考えることに意義があるのではないでしょうか。モディアノの『1941年。パリの尋ね人』には、そうした過去の真実を重苦しくない形で思い出させてくれる不思議な魅力があります。講義を通じて、みなさまがモディアノ文学にご関心をお持ちになり、「他の著作も手に取ってみたい」と思っていただければ嬉しく思います。

 

 なおこの講義では、パトリック・モディアノ、白井成雄(訳)、『1941年。パリの尋ね人』、作品社、1998年を使用します。

山
山内瑛生
¥8,500
精神のエネルギー

ON-DEMAND
25 | 06/30

精神のエネルギー

この講義は、2022年1月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)の講義・論文をまとめた『精神のエネルギー』(1919)を読みましょう。この本は、『時間と自由』・『物質と記憶』といった彼の主著としては数えられませんが、「心」の働きについて語られた講演原稿・小論等が七篇収められている、重要な資料です。実は、ベルクソンは講演・講義の名手でした(コレージュ・ド・フランスの講義は超満員!)。なるほど読んでみれば実に明快な議論がなされています。それゆえに、この著作はベルクソン自身によるベルクソン入門としてよく知られたものです。しかし「入門」とはいっても、『物質と記憶』で展開された知覚論・記憶論を前提としたその内容の射程は実に深いものです。また、流麗な文章から垣間見える彼の率直な関心の表明は、1900年代という知的状況の中のベルクソンの姿をいきいきと伝えてくれます。

さて、この三週間の講義では、第二章「心と体」・第四章「夢」・第六章「知的努力」に的を絞って読解と議論を行います(これらはそれぞれ別の機会に発表された独立の内容です)。いずれも40ページ前後にまとまった、コンパクトで読みやすいものです。これら三つの講演・論文を読むことによって、人間という生物の持つ、脳と心との複雑な関係について吟味し、われわれが行う知的な営為——いま、われわれがまさに行おうとしている「読書」も含まれます——がどのような活動であるのかを、かなり繊細に・具体的に考えることができます。ただし、これらの講演・論文は『物質と記憶』という彼の主著の内容についての前提を含んでいます。その内容を補足できるサポーターがいれば、この読書はなお面白い。そこで、私の講義の役割があります。『物質と記憶』の内容を導入しつつ『精神のエネルギー』を読解することで、ベルクソンの心理学的・哲学的考察の豊かな世界に触れてみましょう。

とりわけ次のような方には強くお勧めできる内容になります。

・ベルクソンの哲学・思想になんとなく興味を持っていて、読んでみるきっかけが欲しい方

・他のベルクソンの著作にチャレンジしてみたものの、ハードルの高さを感じたという方 

・『物質と記憶』が扱うような、意識の問題・記憶の問題・心身問題に関心があるという方 

(・『物質と記憶』をお読みになった方で、内容の復習・応用に取り組んでみたい方)

*『精神のエネルギー』の三つの講演・論文の読解を通じて、『物質と記憶』の部分的な内容を、具体的なレベルで噛み砕いた講義を提供することになります。そこで私の『物質と記憶』講義にご参加いただいた皆さまには、あの著作の復習・応用の機会としてもご利用いただけると思います。ぜひいらっしゃってください。

濱
濱田明日郎 (在野研究者)
¥4,500
物質と記憶

ON-DEMAND
25 | 06/09

物質と記憶

*この講義は、2021年11月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)が著し、以降の哲学に忘れがたい影響を与えた古典的名著、『物質と記憶』(1894)を読みましょう。

噂に聞いた方もおられるかもしれませんが、この著作はしばしば「難しい」と評されます。とある入門書はこのように述べています——「『物質と記憶』は、おそらくベルクソンが書いた本の中で最も難しいものだろう。ベルクソンを嫌いになりたければ、まずこれから読めばよい。常識離れをした考え方がどんどん出てくるので、ひょっとすると、かえって好きになる人もいるかもしれないが……」(金森修『ベルクソン』, NHK出版, p.62)。

 

講師を担当するわたし自身は、まさに『物質と記憶』を読むところからベルクソンにハマっていった人間です(「かえって好きになる人」の方に分類されます)。ですから、『物質と記憶』をみなさんと読んでいくにあたっては、この著作の魅力的な部分をきっとお伝えすることができると思います。

 

とはいえ、この本は確かに「難しい」。『物質と記憶』の場合、「難しさ」の根本的原因は「一冊の本のなかでやっていることが豊かすぎる」ことにあります。なにせ『物質と記憶』という本は、我々がこの世界をいかにして認識しているかという「認識論」の問題、われわれの心の働きを解明しようとする「心理学」の問題、われわれの身体のメカニズムについて考察し、失行や失語症といった病状を解釈しようとする「生理学」の問題、記憶の考察から導かれる「時間論」の問題や「存在論」の問題、これらの問題を一挙に引き受けているのです! 途方もなく続くように見える諸学説の論争状況にベルクソンは自ら分け入っていき、中途半端な解答を許さず、論争の陣営のどの立場もが成り立たなくなるところまで追い詰めた挙句、それらの論争そのものがもはや成り立たなくなるような、新たな議論の地平を開きます。この新たな地平で展開される議論はどれも驚くべきものですが、先んじて一つだけ『物質と記憶』の驚くべき帰結をご紹介しておきましょう——記憶はわれわれの身体・脳からは独立に存在している。

 

上の記述から少しでも伝わっていることを願うのですが、この著作は本当に豊かな成果を持っています。だか���こそ、刊行から120年以上経った現在でも、『物質と記憶』の内容を理解し展開してゆくべく、今もなお熱心な読者によって読解が続けられ、良質な研究が登場しています(2015-2017年のProject Bergson in Japanの活動は象徴的です)。その展開は多様であり、なんと人工知能研究にまで及んでいます。怪物的著作とはこのような本のことを言うのでしょう。私としては、こうした豊かな『物質と記憶』の魅力のごく一部だけでも、この講義を通じて皆様にお伝えしたいと思っています(講義時間の都合上、第4章は取り扱うことができません)。

 

とりわけ次のような方にこの講義を勧めます。

・この世界を知覚できること、コップを手に取ること、自転車に乗れること、何かを思い出せること——こうした日常的な生活についての、深い哲学的考察を体験してみたい方。 

・知覚・身体・意識・習慣・記憶といった話題に関心のある方。これらのトピックについて、何か新たな観点を求めている方。 

・哲学的な議論の方法論に興味のある方。特に、単に相手を「論破」するのではなく、議論のはてに新たな眺望を得るような、そんな議論の方法に興味のある方。 

・哲学的なマインドと科学的成果の対話に興味のある方。

 

皆様のご参加を、心よりお待ちしております。

*本講義では、『物質と記憶』の邦訳として、講談社学術文庫の杉山直樹訳『物質と記憶』を用います。しかし、駿河台出版社の岡部聡夫訳、白水社の田島節夫訳など、お手持ちの他の訳書でご参加いただいても構いません。

濱
濱田明日郎 (在野研究者)
¥5,500