開講予定の講義
人を幸福にするか、不幸にするか。みなさんはどちらの方が正しいと思いますか。おそらく多くの人が(瞬間的に?)「幸福にする方が正しいに決まっている!」と思われたのではないでしょうか。この一見すると当たり前のセオリーを唱えたのが、18世紀イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832年)でした。
端的に言えば、ベンサムは正しい行為や政策とは、「最大多数の最大幸福」を促進するものであると考えます。このベンサムの立場は「功利主義」と呼ばれています。今回講義で扱うのは、このベンサムが功利主義を提唱した『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)です。
この功利主義の基本的な発想には異論がないかもしれませんが、「そもそもどうやって人の幸福を計算できんねん!?」という突っ込みがありうるでしょう。例えば、あなたに飴ちゃんをあげるのと、チョコレートをあげるのとでは、どちらの方があなたの幸福をより増幅させるのでしょうか。そう、ベンサムはこのように人の幸福を計る方法までも真面目に考えだそうとしたのです。この功利主義の発想は、現在ではとりわけ社会制度設計などの理想とされています。そりゃそうですよね、私の人生設計ならだしも、社会制度の設計ですから、最大多数の最大幸福に資するものではないと正当化されないと考えられるわけです。本講義では、『道徳および立法の諸原理序説』のうち、最初のいくつかの章を読んでいくことで、功利主義の基本的な発想に触れていただきます。
ベンサムの業績としては、当時禁止されていた「同性愛」を擁護したことが知られています。また、後にミシェル・フーコーによって有名になった「パノプティコン」を提唱した人物でもあります。実はこれらのアイデアも、ベンサムの功利主義に由来します。(なお、ベンサムの身体は現在、ミイラとして大学に展示されていますが、これも功利主義の発想に由来するとされています。)本講義ではこういったベンサムの功利主義の実例と共に、具体的な例をあげて考えていきましょう。
さて、同じ時代にドイツで活躍したイマヌエル・カントの倫理学とは異なり、ベンサムの功利主義は現在に至るまで多くのフォロワーを輩出しました。有名どころであれば、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)やピーター・シンガー(1946年-)でしょうか(彼らの著作は私がThe Five Booksで担当したことがあります。ミルの著作は今後も担当する予定です)。彼らによって功利主義は大幅に改良され、現代でも主要な倫理学理論の地位を得ています。本講義ではこれらのベンサム以降の功利主義の発展も視野に収めながら進めていきます。
※中山元訳『道徳および立法の諸原理序説 上』(ちくま学芸文庫、2022年8月)をご用意ください。
※11月15日はお休みですので、お気を付けください。
第1回講義:2025年10月18日(土):20:00 - 21:30
イントロダクションの授業となります。ベンサムの生い立ちや『諸原理序説』の執筆背景、そして倫理学のイロハなどをお伝えしていきます。第一回では事前にテキストを読んでおく必要はありませんので、準備運動としてご参加ください。
第2回講義:2025年10月25日(土):20:00 - 21:30
講読箇所:「第一章 功利性の原理について」
功利、快、幸福といった概念同士の関係を解きほぐしつつ、功利主義における出発点である「功利性の原理」について解説していきます。なぜ我々にとって幸福は大事なのでしょうか。なぜ幸福は善いと言えるでしょうか。また、功利性の原理はいかにして擁護できるでしょうか。これらの問いに対してテキストに沿って解答していきます。
第3回講義:2025年11月01日(土):20:00 - 21:30
講読箇所:「第二章 功利性の原理に反するさまざまな原理について」
ベンサムは自身の功利性の原理の正しさを擁護するために、功利性の原理と異なる原理がなぜ間違っているといえるのかを説明します。ここで取り上げられるのは、「禁欲主義の原理」と「共感と反感の原理」です。特に後者に対するベンサムの反論は興味深いでしょう。おそらく、ごく素朴に考えれば、我々は善悪を「感じる」ことがあるでしょう。しかし、ベンサムはこういった特殊な感情(道徳感覚)は功利主義と真逆なものとして否定しています。
第4回講義:2025年11月08日(土):20:00 - 21:30
講読箇所:「第三章 快と苦痛の四つの源泉および制裁」「第四章 さまざまな快と苦痛の価値ならびにその測定方法」
我々はそれを地球の反対側にいる貧しい子供たちのために寄付した方がよいことを頭ではわかっていても、自分自身のつまらない快楽のためにそこそこのお金を使うことがあるでしょう。では、我々はどのようにして功利性の原理に適った行為へと駆り立てられるのでしょうか。この問いを扱う第三章では、あくまで人間を利己的な動物と考えるベンサムらしい解答を垣間見ることができます。
つづく第四章では、快と苦痛を測定する方法が提示されます。みなさんは自身の二つの快楽を比較した上でどちらかを優先したりすることがあるはずです。もしかしたらみなさんも知らぬうちにベンサム的な快楽測定をして生きているのかもしれません。
第5回講義:2025年11月22日(土):20:00 - 21:30
講読箇所:「第五章 快と苦痛について、その種類」
みなさんは快と苦痛をどのように分類できると思いますか。本章においてベンサムは複雑な快苦と単純な快苦のうち、単純な快苦に注目し、独自にリストを作ってくれています。特に面白いのは、同じ知覚であっても、快楽にも苦痛にもなりうる知覚があるとされている点です。(さらに、場合によっては「第六章 感受性に影響を与える状況について」も取り上げるかもしれません。)
哲学は面白い!!!!私が胸を張って言いたいのはこれです。他方で、哲学は難しいし、意味がないと思われる方は少なくありません。確かに私もいつもこのように自問自答しています。ここでさしあたりこの「疑惑」に私なりに答えるならば、次のようになります。「簡単な学問なんか要らない。そもそも簡単な学問なんてありえないし、さらに簡単さはやりがいを削いでしまう。また、確かに哲学は利益を生み出すことはないが、そもそも目に見えて役立つような哲学は要らない。哲学はなにより、面白いという意味がある!!」この哲学の面白さを伝えたくてたまらない!!ぜひ講義でお会いしましょう!!