開講予定の講義
今日、グローバル化が世界を「一つ」にするどころか、ますます「私たち」と「彼ら」、「自国民」と「外国人」といった分断を深めているように見えます。イスラエルとパレスチナの「戦争」も終わるようで終わらず、国際社会もそれについてほとんど為す術を持ちません。このような現実を目の当たりにして、何か今日の社会システムの根底にある種の「欺瞞」があるのではないか、と思う人も少なくないでしょう。私たちの世界は、いつから・どこから間違えてきてしまったのでしょうか。
「白人が「公平さ(ジャスティス)」って言うときは、「自分たちだけ(ジャスト・アス)にとって公平」という意味だ」——このような挑発的なエピグラフを掲げるのは、哲学者チャールズ・W・ミルズの主著であり、批判的人種理論や「無知の認識論」の古典でもある『人種契約』(原書1997年)です。
「人種契約」とは、西洋人が現代のリベラリズムの前提としてきた「社会契約」が、実はその根底に、世界を白人とそれ以外とに分ける暗黙の合意を隠し持ってきたことを暴き出す概念です。私たちの誰もが、いわば普遍化され、それゆえ不可視化されてもいる人種差別の構造の中に生きています。ならば、それを認識し、変えていくにはどうすればよいのでしょうか。
本書は10個のテーゼとその解説からなっています。例えば最初のテーゼは「人種契約は政治や道徳、認識論にかかわる」ですが、これだけでは抽象的です。また、ミルズの解説も、哲学や政治思想の語彙が散りばめられ、決して読みやすいものではありません。そこでこの講義では、これらのテーゼを軸に、言葉を解きほぐし、背景知識や文脈を補いながら本書を読み進めていきたいと思います。
なお、この講義では以下の邦訳を用い、適宜原文も参照します。
・チャールズ・W・ミルズ『人種契約』杉村昌昭・松田正貴訳、法政大学出版局<叢書・ウニベルシタス>、2022年。
・Charles W. Mills, The Racial Contract, Cornell University Press, 1997.(ただし翻訳は25周年記念版による)
哲学書を読み慣れない方のためにできるだけ丁寧に解説していきますので、上記のテーゼが難しいと感じた方も、ぜひ安心してご受講いただければと思います。
多くの方のご参加を心よりお待ちしております!
第1回講義:2026年01月10日(土):20:00 - 21:30
本書を読むための準備として、主に「序文」・「序章」に基づいて、著者ミルズの生い立ちや本書成立の背景などを紹介します。また、ミルズがこの著作後に展開していく「白人の無知(white ignorance)」の概念も、Proctor & Schiebinger (eds.) Agnotology 所収の論文をもとに解説します。(予習は不要です)
第2回講義:2026年01月17日(土):20:00 - 21:30
第1章「概説」(39頁)を読んでいきます。「人種契約は政治や道徳、認識論にかかわる」、「人種契約は歴史的現実である」、「人種契約はひとつの搾取契約であり、ヨーロッパ人によるグローバルな経済支配と白人の国民的人種特権をもたらす」という3つのテーゼを解説します。
本書の批判する従来の「社会契約(論)」とは何か、といったところからお話しします。
第3回講義:2026年01月24日(土):20:00 - 21:30
第2章「詳述」(61頁)を読んでいきます。「人種契約は場所を文明的なものと野生的なものに区分けすることで空間を規範化(そして人種化)する」、「人種契約は人間と隷属人間という区分をもうけて、個人を規範化(そして人種化)する」、「人種契約は近代における社会契約を裏書きし、しかもつねに書き換えられる」、「人種契約は暴力とイデオロギー的調整によって強化される」という4つのテーゼを解説します。
今回は分量が多めですが、がんばって読んでいきましょう。
第4回講義:2026年01月31日(土):20:00 - 21:30
第3章「「人種契約」理論の「自然化された」利点」(53頁)を読んでいきます。「人種契約は道徳的な白人主体(の大半)がもつ現実的な道徳/政治意識を歴史的に追跡する」、「人種契約こそが白人の道徳的/政治的慣習の真の決定要因であり、今後批判されるべき真の道徳的/政治的合意であると非白人たちはこれまでずっと気づいていた」、「理論としての人種契約論は、世界の政治的/道徳的現実を解き明かし、規範的な理論を導くという点で、人種なき社会契約よりも優れた説明力をもつ」という3つのテーゼを解説します。
毎回、テーゼの解説のみならず、(時間の許す限り)それが今日の世界を理解する上でどのように役立つのかを確認しながら進めていきたいと思います。
ミルズの理論の射程・応用可能性を確かめながら、この著作を読み解いていきましょう。
こんにちは。東北大学の鶴田想人(つるた・そうと)と申します。
The Five Booksでは大学院生の頃、クーンの『科学革命の構造』やポランニーの『暗黙知の次元』など、専門である科学史・科学哲学の古典を何度か講義させていただきました。
数年ぶりとなる今回は、私たちの「知らないこと」がどのように形作られているのかを探究する「無知学」という分野(正確には、その隣接分野である「無知の認識論」)の古典的著作を取り上げます。
社会の状況が目まぐるしく変わり、無力感に苛まれることも多い現代だからこそ、一冊の古典をじっくり読むことは、時代の波に飲み込まれないために”碇を下ろす”ような作業だと思います。
皆さまと、本を通して対話できますことを楽しみにしております。