開講中の講義
17世紀の哲学者たちは皆それぞれに壮大な哲学を打ち立てていたように思います。その中でも際立っているのが今回の講義で取り上げるスピノザ(1632–1677年) という人物でした。ベルクソンの言葉を借りるならば、スピノザの主著『エチカ』に取り掛かろうする初学者は 「ドレッドノート型の戦艦を目の当たりにしたときのような感嘆と恐怖」 にうたれることになるとも言われています。巨大戦艦にも類比されるスピノザ哲学に立ち向かおうとする我々は、一体どうしたらよいのでしょうか。
巨大戦艦であっても、入り口はちゃんと用意されているものです。今回の講義で扱う『知性改善論』は、まさに彼の哲学への入門として適切な、いわばスピノザ版「方法序説」とでもいえるような著作です。捕まえようとするとツルツル滑って逃げていってしまう『エチカ』に対して、『知性改善論』は、我々の手を取って一緒に『エチカ』の入り口まで導いてくれるような著作であるように思います。
例えば、スピノザ研究者の上野修先生はこの著作を次のように紹介しています。「一人称の倫理的な問いを、その強度はそのまま、非人称の世界〔『エチカ』〕にまで運んでいく道。それがこの『知性改善論』である。百の解説書を読むよりも、まずはこの道を自分で歩いてみたまえ、というスピノザの声がする」(『スピノザの世界』講談社現代新書)。
『知性改善論』という著作は、スピノザ哲学の前提となっている「なぜ哲学をするのか」という動機に触れることができる著作であり、それ自体がまた一つの哲学的思弁でもあります。本講義は、スピノザ入門への第一歩として、また哲学的な文章を読む訓練としても、みなさんの哲学ライフに資することとなるでしょう。これまで17世紀の哲学(デカルトやライプニッツなど)に触れたことのない方々も参加できるような内容を予定しています。
毎回講義終了後には15分程度の質問や雑談の時間を設ける予定です。また、Slackでは開講期間中であれば随時質問を受け付けていますので、ライブ参加される方のみならず、録画配信で参加される方もサポートいたします。みなさんのご参加をお待ちしております。
※本講義では、講談社学術文庫から刊行されている『知性改善論』を使用する予定です。岩波文庫の畠中訳で参加していただいても問題ありません。各講義内容の(1)から(110)までの数字は、講談社学術文庫版では(B)で示された段落番号、岩波文庫の翻訳では単に括弧で示された番号に対応しています。
第1回講義:2025年06月01日(日):20:00 - 21:30
初回の講義は『知性改善論』(以下『改善論』)を読み進める上での準備です。 スピノザが生きた17世紀という時代を紹介しつつ、彼が同時代の他の哲学者たちと比べてどれほどインパクトのある哲学を打ち出したのかを紹介します。また、ここから1ヶ月かけて読み進めてゆく上での作戦会議も行います。『改善論』全体の構成を確認することはもちろん、読み進めてゆく上でつまづきやすい箇所を確認しておきましょう。
第2回講義:2025年06月08日(日):20:00 - 21:30
『改善論』(B1)から(B29)について講義を行います。 さあ実際にスピノザ自身が書いたものを読んでいきましょう。『改善論』は、次のような疑問から始まります。通常考えられている善と、まだ見ぬ最高の善とがあったとき、我々が進むべきはどちらの善なのか。スピノザが決心を下そうとする道のりを追うことで、我々もまた彼と同じ探究のうちへと入り込んでゆくこととなります。
第3回講義:2025年06月15日(日):20:00 - 21:30
『改善論』(B30)から(B49)について講義を行います。 前回の箇所では我々が向かうべき目的が見定められました。今回の箇所ではその目的へと向かうための方法を論ずるための「準備」がなされることになります。スピノザの歩みはとても慎重です。我々は「方法」を論ずることはできるのか、その足場をどこに置くべきなのか、まずはその足場を固めなくてはなりません。
第4回講義:2025年06月22日(日):20:00 - 21:30
『改善論』(B50)から(B80)について講義を行います。 前回までの箇所では、我々が探究をする上で何を拠り所にするべきなのか、ということが明らかになりました。それは「真の観念」と呼ばれるものです。では、我々は、どのようにして「真の観念」を「虚構された観念」や「虚偽の観念」、「疑わしい観念」から区別することができるのでしょうか。 こうして、最初に見定めておいた探究の目的すなわち最高の善に向かって、最初の一歩を踏み出すことになります。
第5回講義:2025年06月29日(日):20:00 - 21:30
『改善論』(B81)から(B110)について講義を行います。 我々は、スピノザが示した第一部の道を踏破し、第二部の道へと辿り着きます。ここでは、感覚に由来するのではない、純粋な知性からやってくる観念を手に入れるために「定義」についての議論が導入されます。さらに、そうした我々自身が抱いている観念が、われわれを取り巻く自然の側の因果関係と合致していることを示すために「秩序」についての議論も導入されます。 最終回では、これまでの議論を振り返りつつ、我々がスピノザ哲学の門前まで辿り着いたことを確認したいと思います。
こんにちは。東京大学大学院で哲学を研究している三浦隼暉(みうらじゅんき)です。いくつかの大学で哲学の講義を担当しています(詳しい業績などは《こちら》をご覧ください)。これまで、多くの参加者の方々と一緒にデカルトやスピノザ、ライプニッツなどの17世紀哲学の著作や、フーコーやヴェイユなど20世紀哲学の著作などを扱ってきました。
私が目指しているのは「哲学は留保なしに愉しい」と感じてもらえるような講義を作ることです。一緒に哲学書を紐解くことで、そのような愉しさを経験するお手伝いができればと考えています。最後に、私の恩師が残した言葉を送ります。「本は一人で読むものですが、ときには窓を開けて一緒に哲学をしましょう」。