開講予定の講義

1941年。パリの尋ね人

『1941年。パリの尋ね人』

パトリック・モディアノ/白井成雄 著

25年7月4日(金) ~ 25年8月1日(金)

毎週金曜日 20:00 - 21:30

終了後2年視聴可能

全5回講義

参加料金:8500円

最少開講人数:5名

利用規約
講義概要

 この講義では、フランスのノーベル賞作家パトリック・モディアノの代表作の一つである『1941年。パリの尋ね人』(原題:Dora Bruder, 1997)の全文を読みます。「モディアノ中毒 Modianesque」という言葉が生まれるほど本国で人気を博しているこの作家は、曖昧化していく記憶の儚さを主題に据えることで、人々に共感と感動を呼び起こしてきました。

 

 モディアノは、1945年に生まれ、現在も執筆活動を継続している小説家です。ユダヤ人の父を持つ彼の初期作品は、処女作の『エトワール広場』(1968)を筆頭に、自身が生まれる直前の「ナチス占領下のパリ」を舞台とし、「ユダヤ性」というアイデンティティの不確かさを描き出しています。四作目の『ヴィラ・トリスト』(1975)以降、同テーマは表立って扱われなくなりますが、作家のアイデンティティと不可分であるこの問いは、その後のモディアノの作品の根底に流れ続けていると言ってよいでしょう。

 

 『1941年。パリの尋ね人』は、そんなモディアノの作品の中でも、特別な作品です。それは、他の小説作品と異なり、本作が「ノンフィクション」、つまり虚構を排した物語だからです。第二次世界大戦の終結から40年以上も経ったある日、モディアノ自身の姿と重なる語り手の「私」は、戦時中の尋ね人広告を偶然見つけます。行方不明になっていたのは、ドラ・ブリュデールという名前のユダヤ人少女。彼女に興味を抱いた語り手は、半ば探偵小説の主人公のように、その足跡をたどっていくのです。ドラはどのような人生を送ったのか。なぜ行方不明になったのか。彼女に関する調査を進めていくうちに、モディアノは歴史の抗えぬ運命に翻弄された他のユダヤ人たちにも思いを馳せていきます。単なる「伝記」を超えた「物語」の奥深さに、読む者が胸を打たれることは間違いないでしょう。

 

 『1941年。パリの尋ね人』に限らず、モディアノの作品は一般に簡潔な文体で知られており、本作品も必ずしも難解とは言えないかもしれません。しかし、慣れない読者は、執拗なまでの固有名詞の羅列や、時間軸の交錯に戸惑いを覚えるのではないでしょうか。また、自伝的要素が散りばめられたその作品の理解には、作者自身の人生の軌跡を知ることも不可欠です。 

 

 そこで、この講義では、「記憶」、「自己」、「ユダヤ性」といったモディアノ文学の鍵となるテーマについてみなさまと考えつつ、『1941年。パリの尋ね人』をゆっくりと読み進めていきます。第二次世界大戦の終戦からちょうど80年の節目となる今年、戦争の「記憶」を自分のものとして留めている人はすでに多くはありません。しかし、そんな今だからこそ、現在の私たちに間接的にせよつながっている戦時期の「記憶」について、文学を通して考えることに意義があるのではないでしょうか。モディアノの『1941年。パリの尋ね人』には、そうした過去の真実を重苦しくない形で思い出させてくれる不思議な魅力があります。講義を通じて、みなさまがモディアノ文学にご関心をお持ちになり、「他の著作も手に取ってみたい」と思っていただければ嬉しく思います。

 

 なおこの講義では、パトリック・モディアノ、白井成雄(訳)、『1941年。パリの尋ね人』、作品社、1998年を使用します。

各講義の概要

第1回講義:2025年07月04日(金):20:00 - 21:30

 『1941年。パリの尋ね人』を読む前提となる作家パトリック・モディアノの経歴や作風について紹介を行います。また、本作の主題として重要なホロコーストの表象に関して、現代フランス文学史の文脈から考察していきます。ホロコーストが作家の「記憶」と「自己」をめぐるテーマにどのような影響を与えているのかを解説することで、『1941年。パリの尋ね人』の読解をはじめる準備を整えます。日本での翻訳出版に際し、モディアノ自身が寄せた「日本の読者の皆さんに」(1-3頁)を事前にお読みいただけると、初回講義の内容がより理解しやすくなるかもしれません。

 

第2回講義:2025年07月11日(金):20:00 - 21:30

 冒頭から45頁までを扱います。モディアノ自身と重なる語り手が尋ね人広告を見つけ、ドラ・ブリュデールについての調査に乗り出す箇所です。ドラの人生を再構成する前段階となるこの部分では、パリの地区や通り、あるいはカフェなどの固有名詞が過剰なほど登場します。また1990年代の「現在」と戦時中のパリのみならず、しばしば語り手自身の若き日の思い出が断片的に差し挟まれることで、時間軸が複雑に絡み合っていきます。初めてモディアノの作品に触れる方は読みづらいと感じるかもしれませんが、これらの要素はモディアノ文学に通底する「記憶」のテーマとつながっており、他作品を参照することで理解が深まることは間違いないでしょう。

第3回講義:2025年07月18日(金):20:00 - 21:30

 46頁から90頁を読みます。いよいよ、語り手がドラの人生の再構成をはじめる箇所です。ドラが聖心マリア学院の寄宿生で、寄宿舎から脱走した事実を突き止めた語り手は、自身も過去に寄宿舎生活を送り脱走を繰り返した経験から、次第にドラと自分自身を重ね合わせるようになります。「逃避」のモチーフは、モディアノ文学の重要な主題の一つです。このモチーフとナチス占領下のパリにおいて徐々に生命を脅かされるユダヤ人の苦しみを想像することが相乗効果を生み、抑制された筆致にもかかわらず、悲哀が一層際立ったテクストが織りなされていることを感じていたければ幸いです。

第4回講義:2025年07月25日(金):20:00 - 21:30

 91頁から135頁を読みます。ドラの父であるエルネスト・ブリュデールの逮捕をはじめ、日に日に緊迫感を増していくナチス占領下のパリの様子が描かれる箇所です。第3回の講義で言及した語り手とドラの人生の「二重化」は、ここに来てさらに広がりを帯びていきます。具体的には、家族が強制収容所に入れられたユダヤ人たちの手紙を引用したり、戦時下で亡くなった作家たちの存在に思いを馳せたりすることで、語り手はいつしかドラ以外の人々の過去の再構成を試みはじめるのです。しかし、こうした試みは絶えず挫折します。「推測」による過去の再現不可能性への気づきが一種の悲哀を生んでおり、そうした悲観的なヴィジョンが最奥部に流れていることは、テクストを読解する上で重要なポイントだと言えるでしょう。

第5回講義:2025年08月01日(金):20:00 - 21:30

 136頁から物語の結末までを読みます。ドラの運命と他のユダヤ人たちの声が響き合い、語り手の探究が終わりを迎える箇所です。結末に関してはみなさまにぜひ実際に読んでいただきたいのでここでは言及しませんが、第4回の講義で扱った語り手によるドラやその他のユダヤ人の人生・感情に対する「推測」が、一時的にせよ「確信」に変わる場面は注目すべきでしょう。見知らぬ他者、顔の見えないユダヤ人たちの人生に思いを巡らせ、何も確かなものはないにもかかわらず、確かなものの欠片を見出したい。そんな語り手の感情が前面に押し出されたこの描写は、非常にモディアノらしく、読者の感動を誘います。歴史に翻弄された人々の生の痕跡を追い続けた作家の傑作を、最後まで読み通していただけると幸いです。

講師からのメッセージ

 はじめまして。講師の山内瑛生(やまうちえいじ)と申します。2025年2月に東京大学大学院で博士号(文学)を取得し、現在は武蔵野大学にてフランス語の非常勤講師をしています。専門分野は、現代のフランス語圏文学、特にフランスとベルギーの文学です。「中心」と「周縁」の文学の比較やそうした差異から生じる作家たちの「自己」、「アイデンティティ」の問題、そして彼らのアイデンティティの一部を形成する「場所」の役割など、幅広く文学的事象に関心を抱いています。

 

 パトリック・モディアノは、私が博士論文で扱った作家の一人です。最初は、フランスのノーベル賞作家ということで、何気なく彼の本を読みはじめたのですが、すぐにその作品の虜になりました。確固たる居場所を持たない孤独な人物として描かれるモディアノの主人公たちの姿に、何者でもなかった当時の自分自身を重ね合わせていたのかもしれません。シラバスの冒頭にも記したように、「モディアノ中毒」という言葉が生まれるほど多くの読者を獲得している作家ですので、きっとみなさまもその作品に魅了されることでしょう。

 

 今回の講義では『1941年。パリの尋ね人』のみを読むことになりますが、他の作品の紹介もしながら、できるだけモディアノ文学の世界の深さをみなさまと共有できれば嬉しく思います。また、適宜フランス語の原文にも言及しつつ解説する予定ですので、フランス語に関心をお持ちの方のご参加も歓迎いたします。

 

 みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

参加にあたってのご案内事項
  1. 各講義は、録画のうえ参加者へ講義後半日後に共有いたしますので、一部講義にご参加が難しい場合もご参加をいただけます。
  2. 録画動画は、講義終了後もご覧いただけます。各講義の録画視聴期間は、本ページ上部に記載しています。
  3. 書籍は、参加者各自でご用意ください。
  4. 講義では、受講者の方に質問や受講者同士の対話を強要することはありません。講義中のご質問は、Zoomのチャットまたは音声で行うことができます。
  5. 参加申込期限は初回講義開講時間までとなります。
  6. 開講3日前20:00の時点で最小決行人数に達していなかった場合は、本講義を中止させていただくことがございます。その場合参加登録をされた皆様へご返金させていただきます。
  7. 開講1週間前に、参加者にはzoomとslackのURLをご共有いたします。それ以降は講義参加へのキャンセルはできませんので、ご了承願います。
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