開講中の講義
*この講義は、2021年11月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。
フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)が著し、以降の哲学に忘れがたい影響を与えた古典的名著、『物質と記憶』(1894)を読みましょう。
噂に聞いた方もおられるかもしれませんが、この著作はしばしば「難しい」と評されます。とある入門書はこのように述べています——「『物質と記憶』は、おそらくベルクソンが書いた本の中で最も難しいものだろう。ベルクソンを嫌いになりたければ、まずこれから読めばよい。常識離れをした考え方がどんどん出てくるので、ひょっとすると、かえって好きになる人もいるかもしれないが……」(金森修『ベルクソン』, NHK出版, p.62)。
講師を担当するわたし自身は、まさに『物質と記憶』を読むところからベルクソンにハマっていった人間です(「かえって好きになる人」の方に分類されます)。ですから、『物質と記憶』をみなさんと読んでいくにあたっては、この著作の魅力的な部分をきっとお伝えすることができると思います。
とはいえ、この本は確かに「難しい」。『物質と記憶』の場合、「難しさ」の根本的原因は「一冊の本のなかでやっていることが豊かすぎる」ことにあります。なにせ『物質と記憶』という本は、我々がこの世界をいかにして認識しているかという「認識論」の問題、われわれの心の働きを解明しようとする「心理学」の問題、われわれの身体のメカニズムについて考察し、失行や失語症といった病状を解釈しようとする「生理学」の問題、記憶の考察から導かれる「時間論」の問題や「存在論」の問題、これらの問題を一挙に引き受けているのです! 途方もなく続くように見える諸学説の論争状況にベルクソンは自ら分け入っていき、中途半端な解答を許さず、論争の陣営のどの立場もが成り立たなくなるところまで追い詰めた挙句、それらの論争そのものがもはや成り立たなくなるような、新たな議論の地平を開きます。この新たな地平で展開される議論はどれも驚くべきものですが、先んじて一つだけ『物質と記憶』の驚くべき帰結をご紹介しておきましょう——記憶はわれわれの身体・脳からは独立に存在している。
上の記述から少しでも伝わっていることを願うのですが、この著作は本当に豊かな成果を持っています。だからこそ、刊行から120年以上経った現在でも、『物質と記憶』の内容を理解し展開してゆくべく、今もなお熱心な読者によって読解が続けられ、良質な研究が登場しています(2015-2017年のProject Bergson in Japanの活動は象徴的です)。その展開は多様であり、なんと人工知能研究にまで及んでいます。怪物的著作とはこのような本のことを言うのでしょう。私としては、こうした豊かな『物質と記憶』の魅力のごく一部だけでも、この講義を通じて皆様にお伝えしたいと思っています(講義時間の都合上、第4章は取り扱うことができません)。
とりわけ次のような方にこの講義を勧めます。
・この世界を知覚できること、コップを手に取ること、自転車に乗れること、何かを思い出せること——こうした日常的な生活についての、深い哲学的考察を体験してみたい方。
・知覚・身体・意識・習慣・記憶といった話題に関心のある方。これらのトピックについて、何か新たな観点を求めている方。
・哲学的な議論の方法論に興味のある方。特に、単に相手を「論破」するのではなく、議論のはてに新たな眺望を得るような、そんな議論の方法に興味のある方。
・哲学的なマインドと科学的成果の対話に興味のある方。
皆様のご参加を、心よりお待ちしております。
*本講義では、『物質と記憶』の邦訳として、講談社学術文庫の杉山直樹訳『物質と記憶』を用います。しかし、駿河台出版社の岡部聡夫訳、白水社の田島節夫訳など、お手持ちの他の訳書でご参加いただいても構いません。
第1回講義:オンデマンド講義
準備体操——初回の講義では、実際に本を読み進めていく前に、読解の準備作業を行います。
『物質と記憶』はとても論争的な本なので、まずはベルクソンが戦おうとしている敵について知る必要があります。そこで「観念論」や「唯物論」といった認識論の陣営、記憶を「痕跡」によって説明しようとする陣営など、ベルクソン以前の「知覚」や「記憶」についての学説を解説していきます。もちろん、哲学にふれたことのない方に理解いただけるよう、お話しするつもりです。
第2回講義:オンデマンド講義
イマージュと身体——第二回の講義では『物質と記憶』第一章を読解していきます。
「イマージュ」の概念が従来の認識論の問題に対してどのような解決を与えているのか、そしてこの新しい概念装置を用いてつくられる、新しい知覚の理論について見ていきます。第一章は、常識的なものの見方をガラッと変えてくれるような箇所になると思います。
第3回講義:オンデマンド講義
身体と記憶——第三回の講義では『物質と記憶』第二章を読解していきます。
ここからはいよいよこの本のいちばんおいしいところである「記憶」の話題に入ります。われわれの生活にどれほど記憶という要素が抜きがたく浸透しているかに注意しつつ、脳と記憶の関係についての徹底的な考察が行われ、記憶は脳に局在しないという説が提示されます。
第4回講義:オンデマンド講義
記憶と心——第四回の講義では『物質と記憶』第三章を読解していきます。
まずは、記憶についての具体的考察が、一般的な「時間」概念についての根本的な見直しを迫るのを見ます。そして身体から独立した記憶の「存在」という例の帰結を導きます。最後にわれわれは、有名な「記憶の逆円錐」図が表現するわれわれの「心」のモデルにたどり着きます。とりわけ難しい箇所ですが、哲学的な喜びの深い箇所でもあります。
第5回講義:オンデマンド講義
ターブル・ロンド——最後の一回はターブル・ロンド、すなわち「円卓会議」の場をひらきます。受講者の皆様の関心に沿って『物質と記憶』の多様な側面を検討できたらと思っております。最後に、この読書会で学んだことを持って帰りやすくするため、われわれが四回の講義で読んできた内容を辿り直します。
この講義は、2021年11月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したもとなりますので、読書グループは開催されません。
濱田明日郎と申します。ベルクソン哲学研究で博士号を取得したのち、現在はエンジニアとして企業で働いています。
ベルクソンの思考のおもしろいところは、ある問題について論争中の両陣営がともに立っている前提そのものを突き崩し、その問題がもはや問題とならないような、別の地平を開いてしまうことです。こうして得られる世界の見方が一新されるような経験には、何物にも代えがたい喜びがあります。もし、そのような喜びが少しでも共有できたら素晴らしいことです。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。