
アーヴィング・ゴフマン
私たちは、なぜ日常生活の中でさまざまな「演技」をするのでしょうか?
何度も聞いた上司のつまらない昔話に、新鮮な反応をして見せること。喫茶店で隣に座ったカップルの痴話喧嘩が丸聞こえでも、素知らぬ顔をすること。徹夜で作った資料を、あたかも片手間で簡単に作ったかのように差し出すこと。人の気配がある給湯室に入る前に、わざと咳払いをして自分の接近を示すこと⋯⋯。
私たちは日々のなかで、何度もこうした小さな「演技」を積み重ねています。そしてそれらは、「自分をよく見せたい」という利己心から行うこともあれば、場に気まずさを生じさせないためや、目の前にいる相手を傷つけないために行うこともあります。
人びとのありふれた日常のやり取りの場面を「劇場」に見立てて分析した社会学者に、アーヴィング・ゴフマンがいます。ゴフマンは、人びとが職場・家庭・レストラン・学校・病院といったさまざまな日常の舞台上で行うふるまいを、すべて「演技」として観察します。ある人のパフォーマンスを見ている人は「観客」であり、共にパフォーマンスに参与する人は「共演者」であり、その空間にある様々なモノはみな「舞台装置」です。私たちの日常生活の様々な場面は、舞台のなかで私たちが行うたくさんの演技(パフォーマンス)によって成り立っているというのです。
ゴフマンのこうした視点は「ドラマトゥルギー」などと呼ばれますが、そこから私たちの生活をみるならば、職場での上司との会話も、学校で授業を受けている場面も、アルバイト先のレストランでウェイターをしている場面も、エレベーターで乗り合わせた他人と「階数表示」を見上げている場面も、パフォーマンスが行われている「舞台」となります。たとえば先生に気に入られたい生徒は、「まじめに」授業に取り組む必要があります。それは、一生懸命ノートを取ったり、積極的に手を挙げて質問したりと、「まじめに見えるように」ふるまうことを意味します。先生という「観客」の目にそう映るように、自分の与える「印象」を管理するわけです。
ところで、このように「他者が自分に対して抱く印象を、自分にとって好ましいように方向づけようとする行為」のことを、日本語で「印象操作」と呼ぶことがあります。広辞苑にも載っているある程度一般的な語彙といえますが、この言葉が他ならぬ社会学者ゴフマンによって造られた用語であることは、あまり知られていません。ゴフマンが主著『日常生活における自己呈示』(旧訳題『行為と演技』)において提示した「impression management(印象操作/印象管理)」という概念は、社会学やその隣接分野に広く受け入れられ、日本でも「印象操作」という訳語が幅広く普及しました。少なくとも日常会話だと、誠意を欠いた他者のふるまいを非難するような文脈で耳にすることの多い言葉ですが、ゴフマンの元々の議論によるならば、人びとはみな例外なく、自分の印象の管理人なのです。
本講座では、ゴフマンのユニークな観察眼を借りることで、私たちが普段当たり前に行っている些細なやり取りの一つひとつが、いかに絶え間ない「演技」によって支えられているのかを見つめ直していきます。本書は、これまで社会学の本を読んだことのない方や古典の読解に自信のない方にもおすすめしたい一冊です。この本を読み終える頃には、職場のやりとりも、家族との会話も、街ですれ違う見知らぬ人の一瞬の表情さえも、これまでとは少し違って見えてくるでしょう。
テキストは、アーヴィング・ゴフマン『日常生活における自己呈示』(中河伸俊・小島奈名子訳、ちくま学芸文庫)をご用意ください。
ご参加をお待ちしています!