西洋哲学不朽の名作、カント『純粋理性批判』をご紹介する機会がついにやってきました。
「すべてはカントに流れ込み、すべてはカントから流れ出た」あるいは「カントはイギリス経験論と大陸合理論を調停した」とまことしやかに言われるカントの主著です。
『純粋理性批判』は、いわば認識論というジャンルに属します。認識論は我々の認識の起源や成り立ちを問います。我々の認識はいかにして成り立っているのでしょうか。もちろん、目指す認識は、絶対的で必然的な認識でなければなりません。それでは、我々にとってそのような認識はどこまで可能なのでしょうか。あの世や神様のことを知ることはできるのでしょうか。これらは形而上学的な問いです。カントはこれらの問いに対して、この分厚い書を通じて大陸合理論ともイギリス経験論とも違う答えを与えることで、哲学史に名を残しました。
ただし、もちろん今回はこの大著のすべてを扱うことはできません。そこで、「序言」「序論」と、本論の最初の箇所である「超越論的感性論」のみを扱います。カントの認識論によれば、人間の認識は、「感性→悟性(理性)→理性」という順番で進んでいきますが、今回はその最初の段階である感性論のみを扱います。本書の全体像を踏まえた「序言」と「序論」をおさえておくことで、感性論の後に続く議論もなんとか(まったく不完全ではありますが)イメージをもつことができるでしょう。
注意点!!
なお、便宜上、当サイトには中山元訳(光文社学術文庫)、および原佑訳訳(平凡社ライブラリー)の画像が表示されていますが、どの訳書を使っていただいてもかまいません。なお、どの訳書であれ、第1巻、あるいは上巻が講読対象になります。第一回講義では邦訳書について簡単に紹介しますので、その後に入手いただいてもかまいません(ただし、次回講義までに入手できるかは保証できません―ー入手しやすいものはいくつもありますがー)。また、どの邦訳も(下記の「各講座の概要」でも紹介している)「序言」「序論」の二つの版を所収しているはずです。念のため、ご確認ください。岩波文庫の篠田訳では、「序言/序論」は「序文/緒言」とされていますが、訳の違いにすぎず、同一内容です。私自身は平凡社ライブラリーの原佑訳を使用する予定です。多少の訳語のズレはご了承ください。