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大衆の反逆

ON-DEMAND
社会学哲学
26 | 07/08 - 08/05

大衆の反逆

〈100年前の予言書〉――スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの主著『大衆の反逆』に、あえてキャッチフレーズをつけるとするならば、このような言葉がふさわしいでしょう。1930年に出版されたこの本は、ファシズムや全体主義がヨーロッパを覆いつつあったおよそ1世紀前に書かれたものですが、そこに生々しく描き出されている「大衆」のイメージは、驚くほど私たち21世紀の現代人に似た姿をしています。


SNSを開いてみれば、一方では、自分と意見の異なる者を徹底的に糾弾する「炎上」が日常化し、他方では、インフルエンサーや”識者”の言葉を無批判に鵜呑みにしてしまう「信者」たちで溢れています。政治の世界を見渡しても、扇情的な言葉やパフォーマンスで人々の分断を煽る極右ポピュリズムが世界規模で台頭しており、理性的な対話を行うための言論空間はもはや失われつつあるように見えます。誰もが自由に発言でき、権利を謳歌できる豊かな社会になった一方で、私たちは自分と異なる意見に耳を塞ぎ、自らの言い分ばかりを主張する《甘やかされた子供》になってはいないでしょうか?――この本が痛烈な筆致で突きつけるのは、こうした自己批判の契機でもあります。


オルテガの言う「大衆」とは、特定の階級や労働者集団を指すものではありません。問題とされるのは精神の姿勢です。すなわち、「みんなと同じ」であることに悩むどころか安心し、自分が凡庸であることを知りながら、しかし凡庸であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする精神性の持ち主こそが、「大衆」なのです。そしてこうした人々が、いまや世界中を支配しつつある⋯⋯というのが、20世紀のヨーロッパの行く末を危惧するオルテガの時代診断なのでした。


本講座では、この100年前の文明批判を、一種の〈予言書〉として、現代社会の状況に照らし合わせながら読み解いていきます。本書はもともと新聞の連載記事(エッセイ)として書かれたものであるため、一般読者に向けた比較的平易で読みやすい文体で書かれています。だからといって”簡単”というわけでもないのですが、オルテガは難解な専門用語をほとんど使いませんし、時代背景や問題意識も見えやすい本なので、「古典」と呼ばれる本に取っ付きにくさを感じている方でも比較的読み進めやすい本だと思います。したがって、本講座に参加するにあたって哲学や社会学の専門知識は不要です。本書を通じて、現代社会に生きる私たちがもつ”大衆性”を見つめ直すとともに、これからの社会が向かうべき先を考えるためのヒントを一緒に探しましょう。


テキストとしては、『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波文庫)をご用意ください。本書には翻訳が多数存在しますが、今回の講座では、最も新しい邦訳である岩波版を参照します。既に別の出版社の邦訳書をお持ちの方はそれを参照していただいても構いませんが、講座内で取り上げる訳文・訳語やページ数とズレが生じることはご了承ください。



嶺岸匠嶺岸匠 (神戸大学大学院)
¥5,200
哲学入門

ON-DEMAND
26 | 01/09

哲学入門-入門編

この講義は、2025年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

本講義では、20世紀を代表するドイツの精神病理学者であり、哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)の著書『哲学入門』を読んでいきます。この著書は、ヤスパースが1949年秋にスイスのバーゼル放送局で行った全12回のラジオ講演をもとに、翌1950年に刊行されたものです。

この『哲学入門』を手に取り、読んだ方はこんなことを思ったかもしれません。

「『哲学入門』と書いてあるから、哲学の入門書だと思って読んでみたら、「ヤスパース哲学」の入門書やないかい!」

私もその一人でした(笑)。大学1年生の頃に、英語で哲学書を講読するゼミの中で、この『哲学入門』を読んだのですが、同じことを思いました。その時はなんだか騙された気分になったものです。たしかに本書は、ヤスパースの考える哲学、いわゆる「実存哲学」をベースに論が展開されるものですので、い��ゆる一般的な哲学の入門書・概説書には当たらないかもしれません。

ですが、皆さまも一度は「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」という疑問を抱いたりすることはないでしょうか?このように、自分自身や自分の人生を問いに附し、その答えを求めて思索を行うことは、誰にでもあることではないかと思います。そういった方に、この『哲学入門』はオススメです。なぜなら、本書の中でヤスパースの説く哲学、いわゆる実存哲学とは、今ここに生きている「この私」自身が、自分の人生を見つめ直しながら、自分自身の思索を深めていく営みを意味するのですが、その手引きを行おうとする著作が、この『哲学入門』だからです。ですので、改めて申し上げますと、哲学あるいは哲学史の概説を行うには不向きな本なのかもしれません。ですが、それでも「自分にとって人生って何なんだろう?」、「自分っていったい何者なんだろう?」などの問いを抱いている方にとって、その答えのヒントを指し示してくれるものが、この『哲学入門』です。ぜひ本講義に参加していただけたらと思います。

またさきほど、この『哲学入門』は「ヤスパース哲学」の入門書であるとも述べました。それもそのはず、ヤスパースの哲学は難解なものが多いですが、そのエッセンスが簡潔にまとめられたものが本書『哲学入門』です。また皆さまにとって身近で手に取りやすいヤスパースの著書といえば、この『哲学入門』ということでもあります。そのため、『哲学入門』はヤスパース哲学を学ぶための導入としてふさわしい著書と言えることから、本講義で扱うこととなりました。

ですが、この『哲学入門』を読み進める中で、こんなことを思ったりする方もきっといらっしゃるかと思います。

「第一講・第二講の内容もわかったぞ!でも、その次の第三講の「包括者」がよく分からない...」

同じく私もその一人でした(笑)。大学1年生のころ、さきほどのゼミにて、「邦訳でいいので、何講か自分で選んで読んで、内容を簡潔にまとめよ」という夏休みのレポート課題が出された際に、再び『哲学入門』を手に取って読んでいたのですが、第三講のところはいくら読んでもてんでよくわかりませんでした。

なぜそうなるのかと言えば、この『哲学入門』は、位置づけとしては後期ヤスパース哲学の著作にあたるものだからです。まず、前期ヤスパース哲学についていえば、その主著である『哲学』の内容をもとに、特に「実存」についての内容を強調するのですが、それに対して、後期ヤスパース哲学は、前期ヤスパース哲学の内容を受け継ぎつつ、実存よりも、他者との交わりへと衝迫する「理性」についての内容を強調する記述が増えていきます。つまり、前期ヤスパース哲学の内容がある程度わからないと、後期ヤスパース哲学の著書に位置付けられる『哲学入門』もわからないということを意味します。

そのようなことではございますが、本講義では、前期ヤスパース哲学の内容も振り返りつつ、しっかりと『哲学入門』の解説を行っていきます。この『哲学入門』が初見の方でもわかりやすい解説を心がけて講義を行っていきますので、安心して本講義に参加していただければと思います。

以上となりますが、このようにヤスパースの『哲学入門』を読んで、挫折してきた方が数多くいらっしゃるのではないかと思います。哲学書に挫折はつきものです。ですが、その挫折こそ再び「哲学すること」のきっかけとなります。途中で挫折した方も、初見の方も楽しめるような講義を行っていきたいと思います。

使用するテキストについて

本講義では、主に草薙正夫訳『哲学入門』(新潮文庫)を用いる予定ですが、林田新二訳『新版 哲学入門』(リベルタス学術叢書9)を読んでいただいても構いません。

草薙訳は、実存主義哲学がまだ隆盛を誇っていた時代に翻訳されていたため、実存的なニュアンスがありありと残る訳になっておりますが、少し文語的な訳なのでその点読みづらいという欠点があります。

対して林田訳の方は、口語的に翻訳されている点では読みやすいものの、ヤスパース研究者である林田先生が訳にこだわって翻訳したということもあり、研究者目線では正確に訳されているものの、その分一般の方々にとってはかえってわかりづらい部分があったりするという欠点があります。

本講義は、適宜両翻訳を用いていきますので、両翻訳の訳出の違いなども含めて、本講義を楽しんでいただけたらと思います。

中
中村元紀 (明海大学浦安キャンパス)
¥5,000
道徳および立法の諸原理序説 上

ON-DEMAND
25 | 12/30

道徳および立法の諸原理序説 上

この講義は、2025年10月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

人を幸福にするか、不幸にするか。みなさんはどちらの方が正しいと思いますか。おそらく多くの人が(瞬間的に?)「幸福にする方が正しいに決まっている!」と思われたのではないでしょうか。この一見すると当たり前のセオリーを唱えたのが、18世紀イギリスの哲学者・法学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832年)でした。

端的に言えば、ベンサムは正しい行為や政策とは、「最大多数の最大幸福」を促進するものであると考えます。このベンサムの立場は「功利主義」と呼ばれています。今回講義で扱うのは、このベンサムが功利主義を提唱した『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)です。

この功利主義の基本的な発想には異論がないかもしれませんが、「そもそもどうやって人の幸福を計算できんねん!?」という突っ込みがありうるでしょう。例えば、あなたに飴ちゃんをあげるのと、チョコレートをあげるのとでは、どちらの方があなたの幸福をより増幅させるのでしょうか。そう、ベンサムはこのように人の幸福を計る方法までも真面目に考えだそうとしたのです。この功利主義の発想は、現在ではとりわけ社会制度設計などの理想とされています。そりゃそうですよね、私の人生設計ならだしも、社会制度の設計ですから、最大多数の最大幸福に資するものではないと正当化されないと考えられるわけです。本講義では、『道徳および立法の諸原理序説』のうち、最初のいくつかの章を読んでいくことで、功利主義の基本的な発想に触れていただきます。

ベンサムの業績としては、当時禁止されていた「同性愛」を擁護したことが知られています。また、後にミシェル・フーコーによって有名になった「パノプティコン」を提唱した人物でもあります。実はこれらのアイデアも、ベンサムの功利主義に由来します。(なお、ベンサムの身体は現在、ミイラとして大学に展示されていますが、これも功利主義の発想に由来するとされています。)本講義ではこういったベンサムの功利主義の実例と共に、具体的な例をあげて考えていきましょう。

さて、同じ時代にドイツで活躍したイマヌエル・カントの倫理学とは異なり、ベンサムの功利主義は現在に至るまで多くのフォロワーを輩出しました。有名どころであれば、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)やピーター・シンガー(1946年-)でしょうか(彼らの著作は私がThe Five Booksで担当したことがあります。ミルの著作は今後も担当する予定です)。彼らによって功利主義は大幅に改良され、現代でも主要な倫理学理論の地位を得ています。本講義ではこれらのベンサム以降の功利主義の発展も視野に収めながら進めていきます。

※中山元訳『道徳および立法の諸原理序説 上』(ちくま学芸文庫、2022年8月)をご用意ください。

髙
髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥5,500
幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇

ON-DEMAND
25 | 12/26

幸福の追求: ハリウッドの再婚喜劇

この講義は、2022年10月および2023年3月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

この講義では、オンデマンド形式で週間かけてみなさんとアメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの代表的著作の一つ、『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)を読んでいきます。

角講義では、毎回50ページほどのペースで本を読み進めつつ、毎回1本の映画を同時に扱います。

主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。

そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。しかし、映画というメディウムの特徴や「映画の存在論」を論じた哲学書である『眼に映る世界』(1971)を除いて、具体的な映画作品を論じた書籍がこれまで翻訳されてこなかったことから、日本ではこれまでカヴェルの議論に十分な注目が集まってきたとは言えない状況にあります。

カヴェルにとってはじめての映画作品を中心的に論じた著作である本書『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』は、『レディ・イヴ』(1941)、『或る夜の出来事』(1934)、『赤ちゃん教育』(1938)、『フィラデルフィア物語』(1940)、『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)、『アダム氏とマダム』(1949)、『新婚道中記』(1937)を「映画芸術の歴史における一つの到達点」として評価し、その意義を考察した一冊です。この本でカヴェルは、通常「スクリューボール・コメディ」として知られるこれらの作品を「再婚喜劇」という独自のジャンルカテゴリーを設けて提示しています。

カヴェルは、一度仲違いしたカップルが再び結ばれる、かつて「元サヤ」と呼ばれた展開を共有するこれらの再婚喜劇映画に、ラルフ・ウォルド・エマソンやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの思想との類縁性、さらには映画作品に対峙する観客のあり方とも重なるものを見出していきます。こうした彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと思います。

本書刊行に続き、内容的に対をなす『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社)の日本語訳も出版され、今後カヴェルの映画論をめぐる日本語圏の議論は、間違いなく盛り上がっていくと思われます。今回は、同作との関連についても要所で言及しつつ、今なお新鮮な『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』後半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるように努めたいと考えています。

本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはロマンティック・コメディ映画や映画論全般に関心を���つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。

使用テクスト:『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022年)を使用します。第2回以降には各回1本の映画(『フィラデルフィア物語』、『ヒズ・ガール・フライデー』、『アダム氏とマダム』、『新婚道中記』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなく配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。(参照 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01144-3.html

また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

冨
冨塚亮平 (神奈川大学)
¥5,500
涙の果て

ON-DEMAND
25 | 11/22

涙の果て

22年10月、23年3月に実施した『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』(原書:1981年)をめぐる講義に続き、この講義では同書と内容的に対をなすスタンリー・カヴェル『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年、原書:1996年)の前半を扱います。毎回40~50ページほどのペースで本を読み進めつつ、3回目と4回目にはそれぞれ一本の映画を同時に扱います。

主にハリウッド映画について論じたカヴェルのテクストは、映画を理論的に分析した学術的なものというよりは、アメリカ人としての彼の個人的な経験や記憶と強く結びついた、哲学的エッセイの要素を強く持っています。それゆえ、ややとっつきにくい印象を持たれがちである一方で、どちらかといえば研究よりは映画批評に通じるような、非常に独創的な記述に溢れており、読めば不思議と元気が湧いてくるような内容となっています。本講義では、飛躍や脱線を数多く含むようにも見える彼の文を素直に読んでいくなかで、みなさんがカヴェルの思想や文体の魅力を見出すきっかけを少しでも提供できればと考えています。

そんなカヴェルが映画を論じた何冊かの著作は、欧米ではジル・ドゥルーズらと並ぶきわめて大きな影響力を有する哲学者の映画論として、現在まで盛んに論じられてきました。また、彼の議論は映画研究の文脈を超えて、美術批評家のマイケル・フリードや、テレンス・マリックやアルノー・デプレシャン、ダルデンヌ兄弟といった現役の映画監督たちの活動をおおいに触発してきたことでも知られています。

近年立て続けに主著の翻訳が刊行されたことで、ようやく日本においてもカヴェルの多岐にわたる仕事を再考する機運が高まってきているように思います。本講義では、彼の特異な文体の魅力をみなさんと共有しながら、具体的な作品解釈や彼の議論への意見を交換し、考えを深めていければと考えています。前回までの講義で扱った『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』との関連についても要所で言及しつつ、『涙の果て』前半部の内容をなるべく噛み砕いてお伝えできるよう努めます。

本講義は、本書やカヴェルの議論、あるいはメロドラマ映画やロマンティック・コメディ映画、映画論全般に関心を持つ方に加えて、哲学や現代思想に興味がある方、パートナーとの関係がうまくいっていない方などに受講をおすすめします。ふだん映画は観るが映画批評はそれほど読まない方、逆に哲学書は読むものの映画はあまり観ないといった方も歓迎します。著作および講義内容や登場する映画、人物に関する質問は、些細なものでも随時Slackにて受け付けます。積極的なご参加をお待ちしております。

使用テクスト:『涙の果て——知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』(中川雄一訳、春秋社、2023年)序文から第2章までを読みます。重要な箇所については一部原文との対比を行う可能性がありますが、その際は原文の英語を動画内で紹介しますので原書の入手は不要です。第3回以降には各回一本の映画(『ガス燈』、『忘れじの面影』)を扱いますが、それらの作品については、現在DVD版だけでなくU-NEXT、Amazon Primeなどの配信でも閲覧可能となっておりますので、適宜ご参照ください。

また、必ずしも読了の必要はありませんが、日本語で読めるカヴェルを論じた入門的なテクストを中心とする関連文献や、今回扱う映画についてカヴェルが執筆した本書とは異なる短めのエッセイについても、随時講義内でご紹介します。

冨
冨塚亮平 (神奈川大学)
¥6,600
精神のエネルギー

ON-DEMAND
25 | 06/30

精神のエネルギー

この講義は、2022年1月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)の講義・論文をまとめた『精神のエネルギー』(1919)を読みましょう。この本は、『時間と自由』・『物質と記憶』といった彼の主著としては数えられませんが、「心」の働きについて語られた講演原稿・小論等が七篇収められている、重要な資料です。実は、ベルクソンは講演・講義の名手でした(コレージュ・ド・フランスの講義は超満員!)。なるほど読んでみれば実に明快な議論がなされています。それゆえに、この著作はベルクソン自身によるベルクソン入門としてよく知られたものです。しかし「入門」とはいっても、『物質と記憶』で展開された知覚論・記憶論を前提としたその内容の射程は実に深いものです。また、流麗な文章から垣間見える彼の率直な関心の表明は、1900年代という知的状況の中のベルクソンの姿をいきいきと伝えてくれます。

さて、この三週間の講義では、第二章「心と体」・第四章「夢」・第六章「知的努力」に的を絞って読解と議論を行います(これらはそれぞれ別の機会に発表された独立の内容です)。いずれも40ページ前後にまとまった、コンパクトで読みやすいものです。これら三つの講演・論文を読むことによって、人間という生物の持つ、脳と心との複雑な関係について吟味し、われわれが行う知的な営為——いま、われわれがまさに行おうとしている「読書」も含まれます——がどのような活動であるのかを、かなり繊細に・具体的に考えることができます。ただし、これらの講演・論文は『物質と記憶』という彼の主著の内容についての前提を含んでいます。その内容を補足できるサポーターがいれば、この読書はなお面白い。そこで、私の講義の役割があります。『物質と記憶』の内容を導入しつつ『精神のエネルギー』を読解することで、ベルクソンの心理学的・哲学的考察の豊かな世界に触れてみましょう。

とりわけ次のような方には強くお勧めできる内容になります。

・ベルクソンの哲学・思想になんとなく興味を持っていて、読んでみるきっかけが欲しい方

・他のベルクソンの著作にチャレンジしてみたものの、ハードルの高さを感じたという方 

・『物質と記憶』が扱うような、意識の問題・記憶の問題・心身問題に関心があるという方 

(・『物質と記憶』をお読みになった方で、内容の復習・応用に取り組んでみたい方)

*『精神のエネルギー』の三つの講演・論文の読解を通じて、『物質と記憶』の部分的な内容を、具体的なレベルで噛み砕いた講義を提供することになります。そこで私の『物質と記憶』講義にご参加いただいた皆さまには、あの著作の復習・応用の機会としてもご利用いただけると思います。ぜひいらっしゃってください。

濱
濱田明日郎 (在野研究者)
¥4,500
物質と記憶

ON-DEMAND
25 | 06/09

物質と記憶

*この講義は、2021年11月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

フランスの哲学者ベルクソン(1859-1941)が著し、以降の哲学に忘れがたい影響を与えた古典的名著、『物質と記憶』(1894)を読みましょう。

噂に聞いた方もおられるかもしれませんが、この著作はしばしば「難しい」と評されます。とある入門書はこのように述べています——「『物質と記憶』は、おそらくベルクソンが書いた本の中で最も難しいものだろう。ベルクソンを嫌いになりたければ、まずこれから読めばよい。常識離れをした考え方がどんどん出てくるので、ひょっとすると、かえって好きになる人もいるかもしれないが……」(金森修『ベルクソン』, NHK出版, p.62)。

 

講師を担当するわたし自身は、まさに『物質と記憶』を読むところからベルクソンにハマっていった人間です(「かえって好きになる人」の方に分類されます)。ですから、『物質と記憶』をみなさんと読んでいくにあたっては、この著作の魅力的な部分をきっとお伝えすることができると思います。

 

とはいえ、この本は確かに「難しい」。『物質と記憶』の場合、「難しさ」の根本的原因は「一冊の本のなかでやっていることが豊かすぎる」ことにあります。なにせ『物質と記憶』という本は、我々がこの世界をいかにして認識しているかという「認識論」の問題、われわれの心の働きを解明しようとする「心理学」の問題、われわれの身体のメカニズムについて考察し、失行や失語症といった病状を解釈しようとする「生理学」の問題、記憶の考察から導かれる「時間論」の問題や「存在論」の問題、これらの問題を一挙に引き受けているのです! 途方もなく続くように見える諸学説の論争状況にベルクソンは自ら分け入っていき、中途半端な解答を許さず、論争の陣営のどの立場もが成り立たなくなるところまで追い詰めた挙句、それらの論争そのものがもはや成り立たなくなるような、新たな議論の地平を開きます。この新たな地平で展開される議論はどれも驚くべきものですが、先んじて一つだけ『物質と記憶』の驚くべき帰結をご紹介しておきましょう——記憶はわれわれの身体・脳からは独立に存在している。

 

上の記述から少しでも伝わっていることを願うのですが、この著作は本当に豊かな成果を持っています。だか���こそ、刊行から120年以上経った現在でも、『物質と記憶』の内容を理解し展開してゆくべく、今もなお熱心な読者によって読解が続けられ、良質な研究が登場しています(2015-2017年のProject Bergson in Japanの活動は象徴的です)。その展開は多様であり、なんと人工知能研究にまで及んでいます。怪物的著作とはこのような本のことを言うのでしょう。私としては、こうした豊かな『物質と記憶』の魅力のごく一部だけでも、この講義を通じて皆様にお伝えしたいと思っています(講義時間の都合上、第4章は取り扱うことができません)。

 

とりわけ次のような方にこの講義を勧めます。

・この世界を知覚できること、コップを手に取ること、自転車に乗れること、何かを思い出せること——こうした日常的な生活についての、深い哲学的考察を体験してみたい方。 

・知覚・身体・意識・習慣・記憶といった話題に関心のある方。これらのトピックについて、何か新たな観点を求めている方。 

・哲学的な議論の方法論に興味のある方。特に、単に相手を「論破」するのではなく、議論のはてに新たな眺望を得るような、そんな議論の方法に興味のある方。 

・哲学的なマインドと科学的成果の対話に興味のある方。

 

皆様のご参加を、心よりお待ちしております。

*本講義では、『物質と記憶』の邦訳として、講談社学術文庫の杉山直樹訳『物質と記憶』を用います。しかし、駿河台出版社の岡部聡夫訳、白水社の田島節夫訳など、お手持ちの他の訳書でご参加いただいても構いません。

濱
濱田明日郎 (在野研究者)
¥5,500
創造的進化

ON-DEMAND
25 | 06/06

創造的進化

この講義は、2023年12月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

〈私たちはどこから来て、私たちは何者で、私たちはどこへ行くのか〉。もっと漠然とした形かもしれませんが、そしてあまり人前で口に出すことはありませんが、だれの心にも一度は浮かんだことのある問いかもしれません。

さて、アンリ・ベルクソンという哲学者がいます。彼はとある講演の中で、先ほどの冒頭に掲げた問い、「人間の起源、本性、運命」の問いこそが、哲学の「死活の問題」であると語ります(「意識と生命」)。また別の講演では、この「死活の問題」に対して哲学がなんの答えも持たないのなら、「すべての哲学は一時間の骨折りにも値しない」と厳しく断じています(「心と体」)。

そんなベルクソンの代表作である『創造的進化』(1907年出版)は、「生命」という観点からこの問いを探求した哲学書です。ベルクソンが100年以上前に『創造的進化』を著したのち、分子生物学は驚くほどのペースで発展しつづけてきたけれども、この学問が分析するところの生命がどこから来てどこへ行くのかという「進化」に関する問いは未だ尽きません。進化論とは生命のこれまでの来歴・これからの命運そのものを考えさせるジャンルです。だからこそ進化論は、単に科学の一分野であることを超えて、何かわたしたちを動揺させる問題提起力を持っています。

『創造的進化』のベルクソンは進化をどう思考したか。ベルクソンは同時代の諸学説による生命進化の説明原理(最も有名なのはダーウィンのそれでしょう)を哲学的に分析し、どれも不徹底なものとして退けつつ(第一章)、彼自身にとって最も納得できる生命進化の解釈を練り上げ(第二章)、ついには「生命の意義」を思考します(第三章)。この哲学者は、生命進化というわたしたちの歴史についての適切な語り方を提示し、その上で私たち人間の立ち位置を理解し、さらにわたしたちの向かう先について一定の解答を提出してみせます。なんたる大仕事でしょうか!

要するに、生命という具体的な対象に深くコミットしつつ、人間の起源・本性・運命という「死活の問題」に切り込むという、とてつもなく真っ当な、しかしだからこそ困難なプロジェクトを遂行してみせた哲学書——それが『創造的進化』という著作です。この未曾有の哲学的冒険を、わたしたちはじっくりと約1ヶ月かけて追体験していこうというわけです。

本講義は次のような流れで進んでいきます。①各講義では、あらかじめ私の方から前提となる知識やヒントを提供する講義を行います。②各章を各自で読んでいただきます。③講義では、まず私の方から、その章の読解を示します。その上で、参加者読解や疑問や意見を取り上げつつ、議論を深めていきます。④講義の最後には、次週の読解範囲の前提となる知識やヒントを提供します。研究者としてベルクソンに付き合ってきた経験から、ベルクソンははじめてだという方も含め、参加者の誰しもがベルクソンのおもしろさに触れられるよう努めます。

濱
濱田明日郎 (在野研究者)
¥5,500
実践理性批判

ON-DEMAND
24 | 05/20

実践理性批判

我々は日常的に、様々な道徳に囲まれて生きています。「嘘はつかない」とか、「ゴミは朝決まった場所に出す」とか。でも、そんな道徳って、ホンマにあるんでしょうか?道徳なんか、妄想じゃないでしょうか?他方で、もし道徳があるとしても、我々の人間の意志って所詮機械みたいなもんで、道徳に従うかどうかを自分で決めることなんかできないんじゃないでしょうか?もしかしたら、人間の意志も行動も、あらかじめ物理的に決められているのかもしれません。人間の意志は自由ではないわけです。そうしたら、そんな人間について道徳を云々しても意味なくないですか?

このような問いに真正面から向き合い、「道徳も自由もある!」と答えた哲学者と言えば、イマヌエル・カント(1724-1804)です。カントの主著、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は「三代批判書」と呼ばれていますが、その中でもまさに道徳を扱う『実践理性批判』(1788年)において、カントは自由と道徳(法則)の存在を問いました。

『実践理性批判』は哲学の中でも道徳哲学、もしくは倫理学に関する著作です。倫理学とは、行為の正不正、または善悪を扱う部門であると言えます。例えば、「他人の嘘をつくことはつねに不正なのか。それともその嘘によって人が幸せになるのであればその嘘は正しいのか」などの問いを扱います。

しかし、『実践理性批判』のカントは、このような個々の倫理にさほど関心を払っていません。むしろ、倫理を成立させる根拠にまでさかのぼります。つまり、それは人間の理性、そして道徳法則と自由の可否を問うことになるのです。本書のテーマは「道徳法則と自由」と言うことができるでしょう。
 
カントの著作は(時には哲学者にとってすら)難解であることはよく知られています。カントのもう一つの倫理学書である『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年)を読んだことがある方が少なからずいらっしゃるでしょうし、『基礎づけ』に関する私の講義を受講された方もいらっしゃるでしょう。実は、『実践理性批判』は『基礎づけ』よりも形而上学的で、理論的で、つまりは抽象的で難解です。おそらく、一人だけで読み進めることはかなり難しいで���ょう。

だからこそ、ついに私が『実践理性批判』の講義を実施することになりました。『実践理性批判』の講義は長くなるので今まで断ってきましたが、オンデマンド型の導入により、実現しました。今回は、ぜいたくにも八回の講義を通じて『実践理性批判』をわかりやすく解説していきます。「純粋理性」「理性批判」そして「自由」というカント形而上学の核となる概念をしっかりと掴んでいきましょう。

長丁場にはなりますが、この機会に、カントの王道、『実践理性批判』をねちねちと一緒に読み進めてみませんか。頑張ってついてきてください!!

 

テキストとしては、『実践理性批判』(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫)をご用意ください。他の翻訳書でも結構ですが、訳語や頁数が異なることはご承知おきください

「序」は読まずに、「緒論 実践理性批判の構想について」から読み始め、第一部の第一篇を読みます。41頁から218頁までです。

第4回講義と第5回講義の間に一週間ではなく二週間設けることで、学習の遅れを取り戻し、休憩し、あるいは復習・予習していただく時間とします。この時期にオンライン懇親会を行うかもしれません。

また、講義の進度によっては講義回数を増やす可能性があります。

 

髙
髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥12,000
人間の条件

ON-DEMAND
24 | 04/08

人間の条件

この講義では、ハンナ・アーレントの代表的著作『人間の条件』を、5週間(全6回)という時間をかけて丁寧に読み解いていきます。

アーレントは生前のあるインタビューにおいて、自らのことを「哲学者」とは見なしていないと答えていました。しかし、この講義では『人間の条件』を、まぎれもなく第一級の「哲学者」によって書かれた、正真正銘の「哲学書」として読み進めていきたいと思います。

とはいえ、そう思ってこの書を読み始めると、少なからぬ読者が戸惑いを覚えることになるかもしれません。というのも、そこではデカルトやカントの著作のように抽象的な概念を用いての思弁が続いているわけでもなく、「哲学書」の一般的なイメージとは異なった議論が展開されているからです。

哲学者はしばしば、「〇〇とは何か?」という問いを立て、「〇〇」の「本質」や「本性」を明らかにすることによってその問いに答えようとします。ところが、この書において問われているのは、「人間の本性」についてなのではありません。したがって、「人間とは何か」という問いに答えることが目指されているわけでもありません。この書で問われているのは、あくまで「人間の条件」についてです。「人間の条件」とは、この世界で生きている人間の実際の有り様や、人間が置かれている現実的な状況のことを指します。

それは例えば、人間が「生命」として存在しているということであり、また、人間は「生まれてくる」ことによってこの世界に存在し、いつかは「死にゆく」存在であるということです。あるいは、人間が「地球=大地」のうえで生きているということや、人間が一人ではなく「複数」でこの世界に存在しているということなどです。

一見「哲学書」らしからぬ書である『人間の条件』ですが、全6回の講義を通じて、この書の「哲学書」としての真価を明らかにしていきます。

テキストについて

『人間の条件』には以下の2つの邦訳がありますが、どちらを用いても問題ありません。両邦訳では、いくつかの重要概念について異なる訳語が採用されていますが、その点についても講義内で解説する予定です。

ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年
ハンナ・アレント『人間の条件』牧野雅彦訳、講談社学術文庫、2023年

原書:Arendt, The Human Condition (1958), The University of Chicago Press, 1998.

齋
齋藤 宜之
¥8,800
プラグマティズム

ON-DEMAND
24 | 01/29

プラグマティズム

この講義では、ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)の『プラグマティズム』を読んでいきます。ジェイムズは、19世紀後半から20世紀初頭に活躍した米国の哲学者、心理学者で、『プラグマティズム』は彼の主著のひとつに数えられます。

彼が生きた時代の米国は大きな変化のなかにありました。たとえば、西部開拓の進展や北部と南部の対立の深まり、それによって引き起こされた南北戦争、その後の飛躍的な経済成長(「金ぴか時代」)、産業化と都市化の急加速などです。さらに、小規模のカレッジに代わって近代的な大学(university)が勃興し、専門学会や学術雑誌が登場するなど、現代の学問・研究のあり方に通じるような変化が生じていました。

のちに「プラグマティズム」と呼ばれることになる思想運動は、こうした状況のなかで生まれました。ジェイムズはその生みの親の一人であり、彼の活躍もあってプラグマティズムは世界的に認知されるようになりました。

現代でも、プラグマティズムはC・ミサックやR・ブランダムといった哲学者によって牽引され、大きな潮流となっています。また、人文・社会科学全体でも再び脚光を浴びており、たとえば政治哲学においては、近代政治思想の人間観を乗り越え、民主主義のバージョンア ップを図るものとして注目されています。

この講義では、そんなプラグマティズムの源流に立ち返り、ジェイムズの『プラグマティズム』を読み解いていきたいと思います。その際、主に以下の二点に注目していきます。

1.プラグマティズムとは結局のところどのような立場なのか。

2.プラグマティズムは宗教とどのような関係を持つのか。

1について。プラグマティズムについてはこれまで多くの人が論じてきました。また、哲学の歴史を顧みれば、多くの人が「プラグマティスト」と呼ばれてきました。しかし、そこで言われている「プラグマティズム」とはそもそもどのような意味で使われているのでしょうか。この講義では、とかく曖昧になりがちなこの語の中心部を、源流に立ち戻ることで明らかにしたいと考えています。また、より一般的なレベルでは、プラグマティズムと言えば、役に立つことなら何をしてもよいとか、実利優先のアメリカ的な(浅薄な)考えだと見なされることも多いので、そうした誤解を解くことも同時におこなっていきます。

2について。プラグマティズムと宗教のつながりは、とりわけ現代の議論を見ているだけではイメージしづらいところがあります。しかし、ジェイムズがこの本を書いたとき、根本的なところで宗教の擁護という動機が働いていました。プラグマティズムは宗教とどのように結びついているのか。また、ジェイムズの支持する宗教とはどのようなものなのか。講義を通じて、この問いに明確な答えを与えたいと思います。

この講義をとおして、アメリカ哲学史の面白さと奥深さをお伝えしたいと考えています。みなさんのご参加を心よりお待ちしております。

※この講義で使用する『プラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波文庫、1957年[2010年改版])は、旧版と改版で頁付けが異なります。講義では、改版の頁数で指示をおこないます。

※※この講義は、2023年9-10月におこなわれた同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

大
大厩諒 (中央大学)
¥7,000